長男は保育園の頃からヘルパーさんを利用しています。
私以外の人と関わる、というのが主な目標でした。
大概は散歩と買い物に一緒に行ってもらうのですが、
夏にはプールにも一緒に行ってもらっています。
それで先日ヘルパーさんとお散歩があったのですが。
ヘルパーさんからのお手紙で、
「スーパーでおやつを買いましたが、レジが混んでいたので、自らセルフレジを選んで、使い方も何となく分かっている様子でした」
との報告をいただきました。
おお!すごいな!
確かに長男を連れて何度かセルフレジを使った事があるし、長男自身にもバーコードを読み込ませた事もある。
でもほんの数回なんだけど、それでも覚えていたんだ!
IQ27なのに!w
結構感心&嬉しかったですね!
カテゴリー: 自閉症、知的障害
長男の障害(自閉症、知的障害)についてです。
通園は、月曜から金曜までびっしり5日間。
細かい事は忘れたけど、水曜は地元の保育園との交流日、
木曜はスイミングだったのは覚えている。
この交流日が嫌で嫌でw
だって、健常児との違いをまざまざと、毎週眼の前で見せつけられるから。
その度に自分の子供が、どれだけ発達が遅れているのか思い知らされるから。
母子通園に通い始めた頃だったか、
正確な時期はもう覚えていないけど
初めて児童相談所に長男を連れて行って発達検査をしてもらった。
一通り検査をしてもらって、最後に私は職員さんに軽い気持ちで尋ねた。
「普通の子に、発達が追いつく可能性はありますか?」
今でもハッキリ覚えている。
職員さんが一瞬言葉に詰まったのが、明らかに分かった。
職員さんは言葉を選びながら
「…難しいと思います。普通の子も大分伸びる時期ですから…。」
と言った。
この時初めて、長男は今まで思っていた以上に深刻な状態なのだ、と私は思い知った。
その夜、長男の寝顔を見ながら私は泣いた。
永遠に出られない真っ暗なトンネルに放り込まれたような気分だった。
普通の子じゃ、ないんだ…。絶対に追いつけないんだ…。
定期的に児童精神科にもかかっていた。
何度か通ううちに、
「精神遅滞、つまり知的障害と思われます」
と診断が出た。
当時はまだ自閉症とは言われなかった。
まだ自閉度(造語だけど)がそんなに目立たなかったからだと思われる。
この後成長と共に自閉度が強くなって行って、
就学した頃に自閉症と診断名が変わった。
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それでもやっぱり、母子通園に通っている頃は、
私もまだ長男の障害を本当の意味で受け入れる事ができていなかった。
これはどの障害児の親も同じだそうで、
やっぱり障害なのか…いや、でもまだこれから良くなるかも!…
というのを無限ループする。
この無限ループから解き放たれて
事実を受け止める事ができたのは
やっぱり普通の保育園に入った頃だったように思う。
母子通園に1年半くらい通って、年中さんから地元の保育園に
障害児枠で入園した。
途中から加わる長男を、果たして同じクラスの子供達が受け入れてくれるのか、とても不安だった。
でもそんな私の不安をよそに、みんなとても長男を可愛がってくれた。
先生にも本当に良くしてもらった。
長男は基本いつもニコニコしているので、得な性分だとは思う。
担当保育士さんは長男の事を
「癒し系とか和み系ですよね~」
と言って下さった。
ある時クラスの子が
「どうして長男君は年中さんから入って来たの?」
と保育士さんに聞いたらしい。
保育士さんは
「年少さんまでは違う所に通っていたからだよ」
という感じで答えたらしい。
そうしたらその子は
「良かった~このクラスに来てくれて」
と言ってくれたのだそうだ。
この話を聞いた日の帰り道、思わず涙ぐんだのを覚えている。
保育士さんにもクラスの子にも恵まれた。
本当に有り難い、と思った。
次回、就学編w
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長男が1歳10ヶ月の頃、たまたま遊びに来た叔母に指摘されて
それがキッカケで児童精神科を受診した。
叔母は役場の福祉課で働いていたため、長男の様子が「普通」と違う事に気づいたらしい。
「何だか気になる。隣の市にそういうのを診てくれる先生がいるから、診てもらったら?」
的な事を言われた、と母づてに聞いた。
??気になるって、何が??
意味も分からないまま隣の市にある病院の児童精神科に連絡をした。
予約だけで数ヶ月待ちで、受診前にアンケートが
送付されて来た。
アンケートの内容は、
所謂自閉の症状があるか?という内容。
つま先歩きはしますか?
目が合いますか?
的なアレ。
でも自閉症の事なんて何も知らない当時の私には
このアンケートに何の意味があるのか全く分からなかった。
え?つま先歩きよくやってるけど…それが何?
何か悪いことなの?
質問の意味が分からなくて、すごく戸惑ったのを覚えている。
今ならすぐにググって調べる事ができるけど、
何しろ20年近く前の事・・・ネット環境なんてなかった。
アンケートを送り返して、やっと受診できたのは3ヶ月後くらいだったかなぁ?
隣市の総合病院に行って、待合室で呼ばれて診察室にいたのは意外と若い先生だった。
子供が成人してもこの先生にずっと診てもらう事になるなんて、
この時は思いもしなかったよw
一通り長男の様子を診た後、先生に市内の母子通園施設を勧められた。
この時はまだ2歳になるかならないかの頃だったので診断名は出ず、このまま様子を見ましょうという事になったと思う。
最後に、アンケートで気になっていた「つま先歩き」について聞いてみた。
「何か悪いことなんでしょうか?」
と。
先生は
「単なる1人遊びなので、気にしなくていいですよ」
と言われた。
(n’ω’`)エーなら何でアンケートにわざわざそんな事書くの…?
とイマイチ釈然とせずに初回の診察を終えたのを覚えている。
そりゃ、まさか自分の子供が障害児だなんて
夢にも思っていない母親に、
誰がいきなり「自閉症によくある行動なんですよ」
なんて言うもんかwって今なら思うけど。
その後先生に勧められた母子通園施設に連絡を取り、
見学を経て無事入園となった。
母子通園施設の名前に「心身障害児施設」とあったのだが、それを見て当時自分がどう思ったのか全く覚えていない・・・。
やっぱり児童精神科の受診をした時点で、何となく
「ああ、普通の子とは違うのか・・・」
と思ったんだと思う。
まぁ、思い当たる節ありまくりだったから当然かなw
あの頃は本当に忙しい毎日だったなぁ。
まだ0歳だった次男を背負って
長男の手を引いての毎日の通園は、
今思うと全然自分の時間なんか取れない、
過酷な毎日だったw
朝9時から14時か15時までだったか・・・
ああ、もうこんな事も覚えていないなw
ちょっとショック。
帰ったら子供昼寝させて、
何だかんだやってたらすぐ夕ご飯の時間だ。
若かったからこそできたんだよなぁ。
今だったら絶対持たないよ、体がww
平成9年3月31日。
丸1日の陣痛の後、明け方にやっと生まれてくれた長男。
赤ちゃんの頃から、それはそれは育てにくい子だったのを覚えている。
何が大変って、ベビーベッドに下ろすと泣き出してなかなか寝てくれないのだ。
仕方がないので、当時は1日中ずっと長男を抱っこしていた。
抱っこしながらできる事なんて、テレビを見る事くらい。
昼間は長男をお腹の上でラッコ寝させていた。
両腕が腱鞘炎になって痛くてつらかったっけ。
今思えば、自閉症のこだわりだったんだろうなぁ、と思うのだが、当時はそんな事夢にも思っていなかった。
ただひたすら「赤ちゃんってこんなもの」と思っていた。
月齢が上がるに従って、少しずつ気になる事が出て来た。
育児書に書いてある通りに発達しない・・・。
あれもできない、これもできない、が増え、母子手帳への書き込みもイヤになり、とうとう記入するのをやめてしまった。
今でもよく覚えているのは、うつ伏せができなかった事。
発達的にはできるはずなのに、絶対うつ伏せにならない。
無理やりうつ伏せにして
「やっぱりできるじゃん!」
と思いつつ写真を撮ったのだが、その写真を見ると長男の表情は恐怖に戦いているように見える。
ああ、これ怖かったんだ。
長男の障害が分かった後にそう思った。
うつ伏せができる程度の発達はしていたけど、長男は「うつ伏せの姿勢をするのが怖かった」のだ。
だって、いつもは仰向けなのに、慣れない姿勢は怖いから。
まだ生まれて半年とかそこらの頃なのに、しっかり自閉のこだわりはあったのだ。
今なら分かってあげられること、当時は全部分からなかった。
夏に近くの公園の噴水で絶対に水遊びをしてくれなかった事も、
1歳5ヶ月でやっと歩けるようになって散歩に連れて行ったら、歩道でしゃがみ込んで泣き出して歩かなかった事も、慣れない場所だと抱っこしていないと泣きわめいていた事も。
全部全部、不慣れな事を怖がる自閉症の症状だった。
私は私で、どうして歩いてくれないの?
家では歩いてるんだから歩けるでしょ!
という思いしかなく、今思えば長男にかわいそうな事をしてしまった。
でも、仕方がなかったとも思う。
誰が、自分の子に障害があるなんて思うもんか。
五体満足で生まれて来て、普通に成長していくものだと疑いもしていなかった頃だった。
我が家の長男は、生まれつきの障害を持っています。
最初に診断されたのが「精神遅滞」
今ではほとんど聞かない言葉ですが、要は「知的障害」という事です。
当初は自閉症の診断は出ませんでした。
今思えば自閉症特有の症状が出てはいたのですが、さほど強く感じられなかった事が原因でしょうか。
そんな長男を育てて20余年。
様々な思い出を振り返りながら、今まさに障害児を育てている方たちの力になれればいいな、と思いながら綴っていきたいです。