カテゴリー
膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その5(終)

膵炎発症から前後するけど、7月に入った頃にもなると体調も大分楽になって、暇を感じられるくらい余裕が出来た。
その時点でLINEでお友達にぼちぼち入院している事をお知らせ。
退屈だから誰か見舞いに来て~って事でw
入院初期なんて体調が悪くて退屈なんか感じる余裕もなかったから、これは大分回復した証拠。

この頃はパルス2回目も終わって、飲み薬のステロイドを毎日60mg飲んでいた。
他の人の症状を見ると、鬱状態になって悲観的になって泣いていたり、
逆にステロイドハイになってやたらとテンションが上がったりっていうのを見たけど、
私は至って平常運転だったw
鬱も躁も出ず、全く普通。
不眠と便秘以外に特に副作用もなし。
まぁその後膵炎になったんだけどさorz
[ad]

お友達もぼちぼちお見舞いに来てくれたり、7月も半ばを過ぎると点滴台をコロコロさせながら1階(私の入院していた病棟は5階)のコンビニまで行けるようになった。
とにかく暇なので、買いたい物があるわけでもないのによくコンビニまで散歩していたw

それにしても困ったのが、スマホの速度制限とバッテリーの持ちの悪さ。
病院Wi-Fiないんだよねぇorz
だから7月半ばで通信制限かかっちゃってさ。
それでなくてもやることがないから、どうしてもスマホいじっちゃう。
バッテリーもガンガン減る。
なのでちょっと使わない時はいつも充電してた。
スマホがいつも熱かったなぁw
テレビはカード代がバカ高いので、厳選した番組を週3~4番組しか見ていなかった。
それでもテレビカードだけでトータル1万近く使ったもんなぁorz

そして7月半ばにしてようやくCPKが3桁(700台)まで落ちたので、
その頃からリハビリ開始。
とにかく暇だったので早くリハビリを始めたかったので嬉しかった。
この頃一応毎日散歩していたので、それなりに歩けるつもりでいたのだが、B先生に
「階段はまだ無理だと思います」
と言われて気付いた。
そうだ、私今絶対階段昇り降りできないわ!
これじゃ家で生活できないじゃん!
歩くのだってまだまだゆっくり慎重に行かないと怖い状態だしね…。
それでも、一番状態が悪かった時は上半身の着替えだけで息切れして休み休みだったもんな。
それから考えれば本当に少しずつだけど、毎日回復はしてる。
昨日できなかった事が今日はできる。
この連続で、ちょっとしたことだけど嬉しかったのをよく覚えている。
[ad]

パルス開始直後は指先に力が入らなくて髪もうまく結べなかった。
だってシュシュが広げられないんだよw
ゴムが固くて、指でゴムを広げられなかった時はもう、
びっくり通り越して笑っちゃったわw
こんな事もできないのか!って。
でもそれも数日後にはできるようになって、髪もうまく結べるようになった。
ベッドの縁に座る事はできたけど、ベッドの上に足を伸ばして座ることはできなかったのも、ある朝何とかできるようになった時も嬉しかったなぁ。

そんなこんなで7月下旬、やっとCPKの数値が基準値になった。
A先生が病室まで教えに来てくれて、
「もう少しです!」
とガッツポーズまでしてくれたw
とても嬉しかったw
終わりの見えない入院生活で、やっと退院の文字が見えた瞬間だった。
[ad]

そして8月に入ってから、このまま悪くならなければ、来週退院だと言われた。
ステロイドも少しずつ減っていて、この頃には1日30mgだった。

しかし退院する前にやっておかねばならない事があった。
旦那の家庭内禁煙である。
そもそも私がこの病気になった原因の大部分は旦那によるストレスだと
割と真剣に思っている。
その1つがタバコ。
家の中だけでもやめてくれって頼んでも聞いてくれなかった。
毎朝寝室のドアを開ける度に家中に漂うタバコの臭いに、
どれだけストレスを感じていたか!
これを機に、家の中で吸うのだけはやめてもらわねば!
A先生に
「主人がタバコを吸うんですけど、やっぱり家の中で吸うのはやめてもらった方がいいですか?」
と聞いたら
「そうですね、できるだけやめてもらった方がいいです」
と言われたのを、100倍くらい大げさに伝える事にしたw
それに加えて予め私の母からも旦那に伝えておいてくれるように頼んだ。
その上で旦那に電話したら、意外とアッサリ了承されたので少々拍子抜け。
ついでに、これからの生活で心がけて欲しい事を説明して電話を切った。

そして血液検査の結果、退院が8月10日に決定した。
6月15日に入院して、実に57日目。
私が一番気がかりだったのは飼い猫の事だった。
子供は母や旦那が見舞いに連れて来てくれたけど、猫だけはそうも行かぬ。
猫に会いたくてしょうがなかった。

退院の日、母と次男(長男は作業所があったため不在だった)そして姉まで来てくれた。
でも家にいるはずの旦那は来ないw
まぁ奴はそういう奴なんだよ。
だから最初からアテにする気もないのだが。
トータル57日の入院。ほぼ2ヶ月だよね。
長かったー!
[ad]

家に帰ったら、真っ先に猫を探した。
猫の小さな脳みそで2ヶ月も会わずにいたら忘れられちゃうんじゃないか、と不安だったしw
幸いウチの猫はちゃんと覚えていてくれて、嬉しそうな顔をしてくれた。

入院中もずっと私の母が泊まり込みで家事をしてくれていたのだが、退院後もしばらく残ってくれる事になった。
退院直後じゃまだ何もできないだろうと。
それなのに私は翌日からほぼ普通に生活していたw
だって頑張ればできるんだもん、やらなきゃ。
洗濯、トイレ掃除、猫トイレの砂替え。
翌日の朝息切れしながらやっていたら、母に心配されたw
でも頑張ればできるならやっちゃうよね、自分で。
母には食事作りだけをお願いした。

病院ではほぼ1日寝ていたから、家でも1日の大半を寝て過ごさないとしんどいだろう、と母は思っていたようだ。
でも私にしてみれば、病院で寝ていたのは他にやることがなかったからってだけの話で…。
いつでも好きなことができる自宅でまで寝ているほど具合が悪い訳ではなかったのだよ。

この頃の体調は「笑っちゃうほど順調」だった。
実際それは今現在も同じ。
だから、ネットで色々調べるまではこれが普通なんだと思っていた。

でも、退院後普通に生活できるまでに2年かかったとか、ステロイドの離脱症状でだるくてまともに生活できないとか、そんな話を読んだ時は本当にびっくりした。
私がこんなに体調がいいのは、単に運が良かっただけなのか…。

そりゃいくら調子がいいと言っても、病気になる前とは違う。
ゆっくりでないと歩けないし、ちょっと動いたらやっぱり少しだけど息苦しくもなる。
退院して一番びっくりしたことは、ニンジンが切れなかった事w
ニンジンってこんなに固かったんだ!っていうのと、
今まで全く気にならなかったニンジンが固くて切れないっていう事にビックリだ。
やっぱり相当筋力が落ちてるんだなぁ、と。
何しろ入院して体重測定したら、1週間で4kg落ちた時あったからなぁ。
あれほぼ筋肉なんだよなぁ、勿体無い。
4kgの筋肉を取り戻すには、一体何ヶ月、何年かかるんだろう…。
[ad]

どうせなら免疫も、筋肉じゃなくて脂肪を攻撃して溶かしてくれれば良かったのに、と何度思った事か。

こうして私の約2ヶ月の入院生活は終わった。
もう随分遠い昔の事のような気がしている。
実際細かい事は忘れちゃってるんだよね。

今体調がいいのを楽観しないで、いつかまた入院するような事になるかも知れない、と危機感を持っていなければと思う。
なので、とりあえずサブのノートパソコン買いましたw

カテゴリー
膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その4

7月に入って割とすぐ、酸素が取れた。
指に常時付けていた酸素を測るモニターも外された。
酸素量が安定して来たからもういいって(・∀・)
そして、支えなしでも歩けるようにもなった。
今までは点滴台に酸素ボンベを取り付けて、そこからチューブで繋いで酸素を吸いながら点滴台に捕まっての移動だった。
おまけにでっかい酸素モニターも付けさせられてたし。
これらが必要なくなって、体一つでスムーズに移動できるのがなんと素晴らしい事か!
尤も、まだまだ足に力が入らなくて脱力感が強いので、よくよく注意して歩かないとならない。
今軽く膝カックンされたら、余裕でその場で崩れ落ちる自信があるw

とにかく少しづつではあるけど順調に回復している。
副作用らしい副作用も、便秘気味と不眠以外出てない。
順調なので1時間の外出許可を貰って外に買い物にも行けた。
[ad]

ところがである。7月18日。
朝食後しばらくして、左脇腹と左肩が痛みだした。
朝食後にパンも食べたりしたんで、ちょっと食べすぎたのかな、と思ったのだが、明らかに食べ過ぎの痛みじゃない。
しかも左肩も痛いっていうのはおかしい。
???
と思いながら横になっていたが、その内収まった。
が、その日の昼食時。
食事中にまた左脇腹と左肩が痛くなった。
ちょっと痛いなんてもんじゃない。
「いたたたた…!」
とうずくまって食事を中断しないといられない痛さ。
しかも息を吸うとひどく痛むので、呼吸するのも一苦労。
明らかに食と連動して痛くなるようだ。

その後様子を見に来たA先生とB先生に相談したけど、この痛み具合が伝わらないのかイマイチ反応が薄い。
まぁ少し様子を見ましょう、みたいな(-“-;)
自分でググってみた結果、どうも膵炎の症状が非常に当てはまるのだが、先生なら症状を言ったらすぐ分かると思ったのに。
言わないという事は膵炎は考えすぎなのか?
さすがに素人が「ネットで調べたら膵炎っぽいんですけど、違いますか?」
とは聞きづらいなぁ、と思って言わなかった。
アルコールの取り過ぎでなる場合が多いって書いてあったしけど、
アルコールなんて一切取ってないしなぁ。

先生方は特に何もしてくれないけど、食事をするとまともに食事できないほど痛む。
どう考えても気のせいとかのレベルじゃないんですけど!
という事で、翌朝看護師さんに
「どうしても痛いので、先生にそう言って下さい」
とお願いした。
A先生は「脇腹と左肩の痛みは別ものでしょう」と言われたが、どう考えても同時に痛くなるんだってば!
「いえ、連動してます」
としっかり言っておいた。
B先生は「食事で痛くなるなら胃関連かなぁ」と。
とりあえず痛みが出てから3日目にやっとCT検査をしてもらえる事になった。
[ad]

検査をした日の夕方、A先生が病室に来るなり
「すみません、膵炎でした」
と。
ほらやっぱりー!!
何で素人が簡単に検索で分かる事をプロが気付かないんだよー!
「でも、膵炎なら上がってるはずの数値が低いんですよね」
と先生は仰ったが、症状が出て48時間経過したら数値はどんどん下がって、
平常値になるんですってよ。
Google先生が教えてくれたよ。
痛くなったの18日で、CT取ったの20日。
とっくに48時間経ってますw
素人が簡単に調べられる事をなぜ医者が知らないwww
専門外だからなのか?(-“-;)

結局ステロイドの副作用で膵炎になったorz
入院中暇だったのでスマホで日記をつけていたのだが、この日の日記はまぁ、本当に落ち込んでいたのがよく分かる。
実際とてもショックを受けた。
ムーンフェイスやらニキビやらならまだいいけど(この頃は何も出てなかったけど)
病気系の副作用だけはならないで欲しかったのに。
とうとう恐れていたことが…!
自分の病気が難病指定されているような重病だって知った時も、
ここまでショックは受けなかった。
ていうか、難病の事も自分でネットで調べて知ったよ!
先生そういう説明何もしてくれないんだもん!
更に医療費補助してくれる受給者証の申請が出来ることも自分で調べたよ!
だって先生そういう説明何も(ry
いや流石にもうちょっと説明してくれないと困っちゃうよホントにorz

そしてその日から地獄の24時間連続点滴が始まった。
何でも、絶対に漏れたらまずい点滴だから、慎重を期すために腕からではなく首の太い血管に針を入れて、そこから点滴するんだって。
いきなり病室でプチ手術状態にorz

麻酔して点滴針を入れて、数針縫って針を固定して、ご丁寧にレントゲンで針がちゃんと血管に入っているか確認して、それでやっと点滴開始。
何という慎重さ((;゚Д゚)ガクガクブルブル
更に点滴がスペシャル仕様。

なんか制御装置までつけられてるww
点滴が詰まったりするとエラー音が鳴り響く。
点滴が終わってもエラー音が鳴り響くw
同室の人達には非常に気が引けたが、まぁ迷惑はお互い様だよな。
私は普段ほぼ迷惑をかけるような音も出さずに大人しくしていたが、周りのばぁさん達にはそれなりに迷惑かけられてたしな。

このスペシャル仕様で2種類の点滴をほぼ絶え間なく入れ続ける。
1種類は8時間かけて、もう1種類は16時間かけて。
せっかくおさらばできた点滴台と感動の対面(‘ω`)
また点滴台を引き連れて歩くのか。
前はそれでも点滴台が支えになっていたので助かってはいたが、今は1人で歩けるから完全にお荷物。
ガラガラと後ろ手に引っ張っていかにも邪魔、という感じで歩いていたw
[ad]

せっかく原病である多発性筋炎は少しずつとはいえ順調に良くなっていたのに、副作用の膵炎がこれでは…。
最早どっちがメインの病気だったのか、自分でも分からなくなりそうになる。

ググってみたら、ちゃんと副作用として「薬剤性膵炎」ってのがあるそうじゃないか!
何で素人が簡単に調べられる事を医者が(ry

退院して色々調べた今、お医者さんや薬剤師さんの言う事はあんまり真に受けない方がいいのかもしれないなぁ、と思っている。
だってステロイドの副作用で血糖値が上がった時に、
「このまま糖尿病になりそうで不安です」
と相談した市民病院の薬剤師さんは
「そういう事は滅多にないから大丈夫ですよ」
と言い切っていたが、調べたらそれで糖尿になった人の体験談、ザクザク出て来るよ!
膵炎の見当を付けられなかった担当医A、B先生の事もあるし。
(だが私はA先生は信頼しているし、とても好きだ)
何というか楽観的というか…。
色々説明不足なのは言わずもがな!

この時点で7月中の退院は無理だなぁ、と悟った。
まさかこんなに長引くとは…。
退院時期が全く見えなくて、毎日不安だったなぁ、この頃。

カテゴリー
膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その3

治療に入る前は、主に4つの症状が辛かった。
1 発熱による倦怠感
2 指の関節の痛み
3 間質性肺炎の症状(息苦しくて動けない)
4 多発性筋炎の症状(体が思うように動かせない)

治療に入った途端、1と2はすぐに良くなった。
しかし肝心の3と4の回復が思わしくない…。

というか、この頃は筋炎よりもむしろ肺炎がメインの病気だと思っていたし、肺炎の症状の方がキツかった。
トイレに行くだけで大仕事だった。
常に酸素のチューブをつけていないと苦しくなる。
寝る時に横を向くと胸が息苦しくなるので、仰向けでしか寝られなかった。

後にネットで、間質性肺炎は多発性筋炎の合併症で、メインはむしろ多発性筋炎だと知った。
でもこの辺お医者さん全然説明してくれなかったんだよねぇ。
ネットで調べないと分からなかったわ(-“-;)

でも、診断がつかなくて病院をたらい回しにされる人も結構いるみたいだし、筋炎の自覚症状が少なかったのにすぐに診断の目星をつけてもらえたのはラッキーだったんだろうな、と思う。
都心の病院ならともかく、東三河の片田舎でw

ステロイドパルスの点滴が3日間終わった後、飲み薬になった。
最初は60mgスタート。
でもやっぱり3と4の回復が遅い。
私の場合、CPKは最高7000↑だったけど、さすがに治療を開始したら徐々に下がってはいた。
でも下がりが遅い。
1~2週間経った頃に、2回めのパルスが決定した。

それでも体調は治療を始める前に比べたら、格段に楽になっていた。
熱は出なくなったし、前は寝ていてもしんどかったのに、とりあえず寝ていれば楽になっただけでも嬉しかった。
関節の痛みがなくなったので、手も使いやすい。
ただ筋炎のせいで指先に力が入らないので、薬の袋を千切れなかったし、驚いたのは手のひらを水平にできなかったこと。
薬を飲もうと手のひらに錠剤を乗せようとしたけど、手首が上手く回らなくて。
仕方がないので薬の袋をハサミで切って、袋ごと上からザーッと錠剤を口に放り込んでたw

楽になったとはいえ、まだまだしんどい。
1日中横になって、トイレの時だけ起きる、そんな生活。
トイレもしんどかったのでできれば行きたくなかったのだが、そういうわけにもいかないので、尿意を催してからトイレに立つまで時間がかかった。

2回目のパルスをやっても、やっぱりCPKの下がり具合がイマイチ。
もし2回目でダメだったら3回目もあるかも…と聞いていたのだが、3回目にはならず、免疫抑制剤の服用になった。
プログラフカプセルを夜だけ3カプセル。
これが割と良かったらしく、またCPKが下がり始めた。
状態を見て3カプセルから4カプセルに増量されたが、この頃から順調に数値が下がって行った。
後で知ったけど、この薬やたらお高い(;ω;)

この頃出ていた主な副作用は、不眠と軽い便秘。
ムーンフェイスも食欲増進も特になくホッとしていたのだが…。
やっかいな副作用が現れたのはステロイド治療が始まって1ヶ月近く経った頃だった。 
                                     続く

カテゴリー
膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その2

いきなり明日から入院ということで、慌ただしく準備をして翌日午後病院へ。
1週間前の検査入院の時より格段に体調が悪くなっていて、病棟まで歩くのもしんどかったので
車椅子での移動をお願いした。

入院したからと言ってすぐに治療を始めてくれる訳でもなく、筋電図と筋生検をやった後で治療開始になる旨の説明を受けた。
正直、だったら今すぐさっさとやってほしいのだが、それらの検査ができる先生の都合がつかないので、検査は21日になると告げられた。(入院したのは6月15日)
まーた治療先延ばしか!何でもいいからとにかく楽にして欲しいのに…。

入院直前の10日間くらいは、毎朝目覚めるのが本当に苦痛だった。
また苦しいだけの1日が始まると思うと、死んだ方がマシだとさえ思った。
毎朝目覚める度に死んだ方がマシだと思うほどの苦痛だったのだ。
既に解熱剤も効かない、肺生検やって以来熱も高くなってその分しんどい。
こんなに苦しくても寝ているわけにも行かない。
かと言って起きても何もできない、動けない。
旦那は全くあてにならない。

でもまぁ、入院していれば少なくとも大手を振って寝ている事はできる。
それだけは救いだったが、何しろただ寝ているだけでもしんどくてしんどくて…。
この頃はまだ肺炎の症状の方がひどくて、筋力の衰えまで意識が回っていなかった。
酸素が90を下回っていて余裕で入院レベル。
トイレに行くにもゼェゼェ息が切れて一苦労だった。
点滴台にすがりつくようにしないと歩けない。
用を足してもすぐに立ち上がれず、一休みしないと苦しくて次の動作に移れない。

それでも検査が終わるまでは治療をしてもらえないので、解熱剤を飲んでしのいでいた。
その内、筋肉の衰えも自覚出来るほどになっていた。
筋生検を翌日に控えて、しばらく入れないだろうからとシャワーに入ったのだが、髪が洗えないのだ。
自分の腕が重くて髪をまともに洗えない。
なんだこれ!なんだこれ!
自分でビックリだ。
だって想像したこともないじゃん、自分の腕が重くて髪が洗えないなんて!
椅子がないとシャワーも浴びられないし、息も苦しくてもうとても1人でシャワーは無理だ…と思った。

筋電図の検査はこの時既に終えていたのだが、説明されてビビっていたほどの痛みはなかった。
時々チクっと痛みが走る程度だったのでホッとしていた。
筋生検はかなり痛いと言われていたのだが、
「筋電図はそんなに痛くなかったし、筋生検も大丈夫かも?」
と思ったのだが、とんでもなかったww
筋肉切り取られる時の痛みと言ったら…!
何度「イタタタタ!」
と叫んだかw
何度か叫んだ後、先生が
「すみません、後1回我慢して下さい」
って言ってたけど、その後余裕で2~3回叫んだのですがw
「畜生wwあと1回って言ったくせに!」
と思ったのをよく覚えているw

1時間くらい、と説明されたけど、終わってみたら完全に2時間超えていたんですが(‘ω`)
ずっと早く終われ!と祈ってたけど、ソリャイツマデタッテモオワラナイワケヨネ 2時間超えですものww

筋生検が終わった後に明らかに肺の方の具合が悪くなったけど、先生曰く
「筋生検とは関係ないですよ」
との事。
いやタイミング的にどう考えても関係あるとしか思えない…。

入院した時点で私には4人の先生がついた。
主治医はリウマチ科のA先生、そしてなぜか研修医のB先生、最初に肺生検をしてくれた呼吸器内科のC先生、筋電図、筋生検をしてくれた神経内科のD先生だ。
筋生検が終わった翌日の朝からステロイドパルスに入る予定だったのだが、その夜急に容態が悪化した私を見て、B先生が急遽夜中にパルスを開始した。
ここでようやく治療に入れた訳だ。
続く

カテゴリー
膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その1

私が発病した頃~退院するまでのお話。

2017年の5月半ばから、ずっと微熱が続いていておかしいとは思ってたんだけど、その内呼吸が苦しくなって来た。
普通に歩いているだけなのに息切れして苦しい、駅の階段を普通にゆっくり登っただけなのに、立っていられなくなるほど苦しくなる。
どう考えても普通じゃない。
町医者に行ったらレントゲン撮られて、「アレルギー性の肺炎」と診断され、
「紹介状を書くので明日市民病院に行って下さい」
と言われた。

何だか大事になって来た…?
と思いつつ、翌日市民病院へ。

でも市民病院では血液検査の結果を見つつ、
「肺炎だったら上がっているはずの数値が上がっていない。1泊検査入院して下さい」
と言われたorz
肺生検とかいうのをやるためなんだって。
この頃になると、息苦しさと微熱の他に指の関節の痛みも出ていた。
先生にそれを告げると、
「もしかしたら膠原病かも…。」
とこの時点で言われた。

1週間後に検査入院したんだけど、その間にも、もうどんどん具合が悪くなって行く。
ロキソニンを飲まないと熱とだるさでまともに動けない。
それでもとりあえず仕事はできていたのが 検査入院の2日前にはロキソニンを飲んでも仕事どころではなくなってしまった。

肺生検の結果が出るのが1週間後という事で、またしてもロキソニンを処方されただけで治療はしてもらえないまま1週間過ごす事に。
これが本当に苦しかった。
毎日どんどん何もできなくなる。動けない。
体がだるくて家事もまともにできない。
それに加えて、何だか体も重いというか、しゃがんだら立ち上がるのに異様に苦労する。
足を動かすと太ももにさーっと波のように痛みが走る。
手指の関節の痛みも、ひどくなっていく一方。
とうとう物が握れなくなり、歯ブラシもまともに持てない。

この頃になると本当に何もできなくて、食事は私の母が色々と買って来てくれていた。
本当に助かった。
旦那は何もしてくれなかったがな!!
一生忘れん!

そしてやっと1週間が経ち、「これでやっと治療開始してもらえる」と思って病院へ。
肺生検をしてくれた呼吸器内科の先生の診察の前に、リウマチ科の予約も入れてくれていたので、まずそちらで診察してもらった。

ら。

「明日から1ヶ月入院して下さい」
といきなり告げられた。

入院?1ヶ月?何だそれ!
仕事はどうなるの?
いや1ヶ月入院って、一体いくらかかるの?
そんなお金ないのに、どうすればいいの?
色んな事が頭ぐるぐる。
その間先生が言ってた事、ほとんど覚えてないw
ただ
「1ヶ月…もしかしたら2ヶ月かかるかも」
と言われたのだけはハッキリ覚えてるw

ショックのせいか段々気分が悪くなり、病室のベッドに寝かせてもらった。
血圧図ったら診察前より一気に40も下がってたよww
そりゃ気分も悪くなる。

いきなり明日から、と言われても…と5日後じゃだめですか?と聞いたら
「う~ん、時間が経つと肺の固くなった部分が戻らなくなってしまうんですが…」
と言われた。
でも考えてみたら明日入院しようが5日後に入院しようが、どうせ体がしんどくて何もできないんだよな、と思い直し、やはり先生に言われた通り翌日入院することにした。

リウマチ科の診察が終わった後に呼吸器内科の診察をしたのだけど、肺生検の結果を聞いた覚えがない。
覚えていないだけなのか、結果を知らされなかったのかはもう分からない。
どっちにしろ入院する事に決定済みなのだから、それどころの心境ではなかった。
この時点で私の主治医は、呼吸器内科の先生からリウマチ科の先生に変わっていたようだ。

続く

カテゴリー
膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病について

私は2017年5月に膠原病を発症しました。
正確にはもっと前から体の中では進行していたのかもしれませんが、症状を自覚したのは5月だったのです。
私は多発性筋炎と間質性肺炎を患っていますが、まず最初に症状が出たのは間質性肺炎の方でした。
そんな体験を、今難病を患って苦しんでいる方の励みになれば、と思い書いて行きます。