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膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その3

治療に入る前は、主に4つの症状が辛かった。
1 発熱による倦怠感
2 指の関節の痛み
3 間質性肺炎の症状(息苦しくて動けない)
4 多発性筋炎の症状(体が思うように動かせない)

治療に入った途端、1と2はすぐに良くなった。
しかし肝心の3と4の回復が思わしくない…。

というか、この頃は筋炎よりもむしろ肺炎がメインの病気だと思っていたし、肺炎の症状の方がキツかった。
トイレに行くだけで大仕事だった。
常に酸素のチューブをつけていないと苦しくなる。
寝る時に横を向くと胸が息苦しくなるので、仰向けでしか寝られなかった。

後にネットで、間質性肺炎は多発性筋炎の合併症で、メインはむしろ多発性筋炎だと知った。
でもこの辺お医者さん全然説明してくれなかったんだよねぇ。
ネットで調べないと分からなかったわ(-“-;)

でも、診断がつかなくて病院をたらい回しにされる人も結構いるみたいだし、筋炎の自覚症状が少なかったのにすぐに診断の目星をつけてもらえたのはラッキーだったんだろうな、と思う。
都心の病院ならともかく、東三河の片田舎でw

ステロイドパルスの点滴が3日間終わった後、飲み薬になった。
最初は60mgスタート。
でもやっぱり3と4の回復が遅い。
私の場合、CPKは最高7000↑だったけど、さすがに治療を開始したら徐々に下がってはいた。
でも下がりが遅い。
1~2週間経った頃に、2回めのパルスが決定した。

それでも体調は治療を始める前に比べたら、格段に楽になっていた。
熱は出なくなったし、前は寝ていてもしんどかったのに、とりあえず寝ていれば楽になっただけでも嬉しかった。
関節の痛みがなくなったので、手も使いやすい。
ただ筋炎のせいで指先に力が入らないので、薬の袋を千切れなかったし、驚いたのは手のひらを水平にできなかったこと。
薬を飲もうと手のひらに錠剤を乗せようとしたけど、手首が上手く回らなくて。
仕方がないので薬の袋をハサミで切って、袋ごと上からザーッと錠剤を口に放り込んでたw

楽になったとはいえ、まだまだしんどい。
1日中横になって、トイレの時だけ起きる、そんな生活。
トイレもしんどかったのでできれば行きたくなかったのだが、そういうわけにもいかないので、尿意を催してからトイレに立つまで時間がかかった。

2回目のパルスをやっても、やっぱりCPKの下がり具合がイマイチ。
もし2回目でダメだったら3回目もあるかも…と聞いていたのだが、3回目にはならず、免疫抑制剤の服用になった。
プログラフカプセルを夜だけ3カプセル。
これが割と良かったらしく、またCPKが下がり始めた。
状態を見て3カプセルから4カプセルに増量されたが、この頃から順調に数値が下がって行った。
後で知ったけど、この薬やたらお高い(;ω;)

この頃出ていた主な副作用は、不眠と軽い便秘。
ムーンフェイスも食欲増進も特になくホッとしていたのだが…。
やっかいな副作用が現れたのはステロイド治療が始まって1ヶ月近く経った頃だった。 
                                     続く

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膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その2

いきなり明日から入院ということで、慌ただしく準備をして翌日午後病院へ。
1週間前の検査入院の時より格段に体調が悪くなっていて、病棟まで歩くのもしんどかったので
車椅子での移動をお願いした。

入院したからと言ってすぐに治療を始めてくれる訳でもなく、筋電図と筋生検をやった後で治療開始になる旨の説明を受けた。
正直、だったら今すぐさっさとやってほしいのだが、それらの検査ができる先生の都合がつかないので、検査は21日になると告げられた。(入院したのは6月15日)
まーた治療先延ばしか!何でもいいからとにかく楽にして欲しいのに…。

入院直前の10日間くらいは、毎朝目覚めるのが本当に苦痛だった。
また苦しいだけの1日が始まると思うと、死んだ方がマシだとさえ思った。
毎朝目覚める度に死んだ方がマシだと思うほどの苦痛だったのだ。
既に解熱剤も効かない、肺生検やって以来熱も高くなってその分しんどい。
こんなに苦しくても寝ているわけにも行かない。
かと言って起きても何もできない、動けない。
旦那は全くあてにならない。

でもまぁ、入院していれば少なくとも大手を振って寝ている事はできる。
それだけは救いだったが、何しろただ寝ているだけでもしんどくてしんどくて…。
この頃はまだ肺炎の症状の方がひどくて、筋力の衰えまで意識が回っていなかった。
酸素が90を下回っていて余裕で入院レベル。
トイレに行くにもゼェゼェ息が切れて一苦労だった。
点滴台にすがりつくようにしないと歩けない。
用を足してもすぐに立ち上がれず、一休みしないと苦しくて次の動作に移れない。

それでも検査が終わるまでは治療をしてもらえないので、解熱剤を飲んでしのいでいた。
その内、筋肉の衰えも自覚出来るほどになっていた。
筋生検を翌日に控えて、しばらく入れないだろうからとシャワーに入ったのだが、髪が洗えないのだ。
自分の腕が重くて髪をまともに洗えない。
なんだこれ!なんだこれ!
自分でビックリだ。
だって想像したこともないじゃん、自分の腕が重くて髪が洗えないなんて!
椅子がないとシャワーも浴びられないし、息も苦しくてもうとても1人でシャワーは無理だ…と思った。

筋電図の検査はこの時既に終えていたのだが、説明されてビビっていたほどの痛みはなかった。
時々チクっと痛みが走る程度だったのでホッとしていた。
筋生検はかなり痛いと言われていたのだが、
「筋電図はそんなに痛くなかったし、筋生検も大丈夫かも?」
と思ったのだが、とんでもなかったww
筋肉切り取られる時の痛みと言ったら…!
何度「イタタタタ!」
と叫んだかw
何度か叫んだ後、先生が
「すみません、後1回我慢して下さい」
って言ってたけど、その後余裕で2~3回叫んだのですがw
「畜生wwあと1回って言ったくせに!」
と思ったのをよく覚えているw

1時間くらい、と説明されたけど、終わってみたら完全に2時間超えていたんですが(‘ω`)
ずっと早く終われ!と祈ってたけど、ソリャイツマデタッテモオワラナイワケヨネ 2時間超えですものww

筋生検が終わった後に明らかに肺の方の具合が悪くなったけど、先生曰く
「筋生検とは関係ないですよ」
との事。
いやタイミング的にどう考えても関係あるとしか思えない…。

入院した時点で私には4人の先生がついた。
主治医はリウマチ科のA先生、そしてなぜか研修医のB先生、最初に肺生検をしてくれた呼吸器内科のC先生、筋電図、筋生検をしてくれた神経内科のD先生だ。
筋生検が終わった翌日の朝からステロイドパルスに入る予定だったのだが、その夜急に容態が悪化した私を見て、B先生が急遽夜中にパルスを開始した。
ここでようやく治療に入れた訳だ。
続く

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膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その1

私が発病した頃~退院するまでのお話。

2017年の5月半ばから、ずっと微熱が続いていておかしいとは思ってたんだけど、その内呼吸が苦しくなって来た。
普通に歩いているだけなのに息切れして苦しい、駅の階段を普通にゆっくり登っただけなのに、立っていられなくなるほど苦しくなる。
どう考えても普通じゃない。
町医者に行ったらレントゲン撮られて、「アレルギー性の肺炎」と診断され、
「紹介状を書くので明日市民病院に行って下さい」
と言われた。

何だか大事になって来た…?
と思いつつ、翌日市民病院へ。

でも市民病院では血液検査の結果を見つつ、
「肺炎だったら上がっているはずの数値が上がっていない。1泊検査入院して下さい」
と言われたorz
肺生検とかいうのをやるためなんだって。
この頃になると、息苦しさと微熱の他に指の関節の痛みも出ていた。
先生にそれを告げると、
「もしかしたら膠原病かも…。」
とこの時点で言われた。

1週間後に検査入院したんだけど、その間にも、もうどんどん具合が悪くなって行く。
ロキソニンを飲まないと熱とだるさでまともに動けない。
それでもとりあえず仕事はできていたのが 検査入院の2日前にはロキソニンを飲んでも仕事どころではなくなってしまった。

肺生検の結果が出るのが1週間後という事で、またしてもロキソニンを処方されただけで治療はしてもらえないまま1週間過ごす事に。
これが本当に苦しかった。
毎日どんどん何もできなくなる。動けない。
体がだるくて家事もまともにできない。
それに加えて、何だか体も重いというか、しゃがんだら立ち上がるのに異様に苦労する。
足を動かすと太ももにさーっと波のように痛みが走る。
手指の関節の痛みも、ひどくなっていく一方。
とうとう物が握れなくなり、歯ブラシもまともに持てない。

この頃になると本当に何もできなくて、食事は私の母が色々と買って来てくれていた。
本当に助かった。
旦那は何もしてくれなかったがな!!
一生忘れん!

そしてやっと1週間が経ち、「これでやっと治療開始してもらえる」と思って病院へ。
肺生検をしてくれた呼吸器内科の先生の診察の前に、リウマチ科の予約も入れてくれていたので、まずそちらで診察してもらった。

ら。

「明日から1ヶ月入院して下さい」
といきなり告げられた。

入院?1ヶ月?何だそれ!
仕事はどうなるの?
いや1ヶ月入院って、一体いくらかかるの?
そんなお金ないのに、どうすればいいの?
色んな事が頭ぐるぐる。
その間先生が言ってた事、ほとんど覚えてないw
ただ
「1ヶ月…もしかしたら2ヶ月かかるかも」
と言われたのだけはハッキリ覚えてるw

ショックのせいか段々気分が悪くなり、病室のベッドに寝かせてもらった。
血圧図ったら診察前より一気に40も下がってたよww
そりゃ気分も悪くなる。

いきなり明日から、と言われても…と5日後じゃだめですか?と聞いたら
「う~ん、時間が経つと肺の固くなった部分が戻らなくなってしまうんですが…」
と言われた。
でも考えてみたら明日入院しようが5日後に入院しようが、どうせ体がしんどくて何もできないんだよな、と思い直し、やはり先生に言われた通り翌日入院することにした。

リウマチ科の診察が終わった後に呼吸器内科の診察をしたのだけど、肺生検の結果を聞いた覚えがない。
覚えていないだけなのか、結果を知らされなかったのかはもう分からない。
どっちにしろ入院する事に決定済みなのだから、それどころの心境ではなかった。
この時点で私の主治医は、呼吸器内科の先生からリウマチ科の先生に変わっていたようだ。

続く

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膠原病について

私は2017年5月に膠原病を発症しました。
正確にはもっと前から体の中では進行していたのかもしれませんが、症状を自覚したのは5月だったのです。
私は多発性筋炎と間質性肺炎を患っていますが、まず最初に症状が出たのは間質性肺炎の方でした。
そんな体験を、今難病を患って苦しんでいる方の励みになれば、と思い書いて行きます。