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【多発性筋炎】手先の震え【間質性肺炎】

こんばんは。
今日は寒かったですね!
12月になっても暖かい日が続いていましたが、本当に一気に寒くなりました。


今日は「震え」についてです。
膠原病になってから、免疫抑制剤の副作用と思われる「震え」が出ました。
多発性筋炎以外の人にも震えって出るんでしょうかね?
正直病気のせいなのか、副作用のせいなのか、自分では良く分かりません。
退院して1年半経った今でも、手先が震えます。

それでも、退院したての頃と比べたらかなりマシになりました。
当時は、ヤバいくらいに震えていましたから。
書類を手渡すだけなのに、不審者の如く手が震えてしまって、自分ではどうしようもないんですよね。
細かい作業もできないし・・・。
あの頃は、パソコンのマウス操作ですらやりにくくて困っていました。
狙った場所にカーソルを合わせられないんですよ。
震えのせいで、カーソルがずれるずれる!

今も震えはあります。
特に味噌汁の入った汁椀を運ぶ時。
手先の脱力感と合わさって、持ちにくさ倍増です。
それで落としたりする事はないのですが、ちょっと油断すると落としてしまいそうでちょっと怖い・・・。
実際落とした事はないし、よっぽど大丈夫なんですが、やっぱり苦手です。
味噌汁はご飯と比べるとこぼしやすいですからね。

改善策は、やっぱり減薬しかないんでしょうね。
それでも、完全に副作用のせいだけなのかどうかも分からないし、ステロイドは順調に減っていますが免疫抑制剤は入院時から全く量が変わっていないので、当分はこの震えはなくならないと思われます。
私の場合、多発性筋炎はかなり状態も良く、ほぼ寛解と言ってもいい状態だと思います。
問題は間質性肺炎の方なので・・・。
でもこの震えは、薬のせいでなければ筋炎由来なんだろうなぁと思います。

日常生活に支障を来すレベルではなくなったのですが、今でもたまに震えがちょっと大きくなる事があります。
特に他の人に接している時だとちょっと恥ずかしかったりするのですが・・・。
事情を知っている人ばかりではないので、
なるべく人前では出ないでくれると助かるんだけどなぁw

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睡眠薬を減らしたい!

私は、去年入院した時から、ステロイドの副作用の不眠があるせいで、ずっと眠剤を飲んでいます。
もうかれこれ1年半ですね。
できるだけ眠剤に頼らずに快眠を得られる努力を、日々細々と続けています。
睡眠に良いとされる成分、トリプトファンが含まれる牛乳と、その吸収を促すブドウ糖を大量に含むはちみつ。
この2つを混ぜて、はちみつミルクにして飲んでいるのも、その努力の内の一つです。

でも、眠剤を飲み忘れるとやっぱり眠れない・・・。
寝付きはいいんですよ。
別に眠剤がなくても、寝付くだけなら全然問題ないんです。
でも、中途覚醒するんですよね。
ステロイドを飲む前から中途覚醒はあったんですが、すぐにまた眠れる程度だったので、さほど気にしていませんでした。
今でも、眠剤を飲めば中途覚醒しても、すぐに眠る事ができます。
これが飲み忘れるとテキメンに眠れなくなるんですよねぇ。
しかも、飲み忘れた事を忘れていても同じなので、心理的なものでもない。
飲んだつもりで再入眠できなくて、おかしいなーと思ってよく考えたらやっぱり飲み忘れていた、なんて事もありました。
ステロイドが10mgを切ったくらいから副作用が軽くなるって聞いたので、そのタイミングで眠剤なしで寝てみたりしていたのですが、全然ダメ。
最近はすっかり諦めて、眠剤なしチャレンジは全くやっていません。

それにしても・・・もうステロイドは1日6mgまで減っているんです。
人間は通常、副腎皮質でステロイドを作っているそうです。
薬のステロイドを飲まなくても、体内で生成されるんですよ、毎朝5mg!
そりゃあ天然ステロイドと、人工ステロイドで成分が全く同じなのかどうかまでは分かりませんが。
でも普通にしていても5mg出ているなら、6mgになった今、不眠も多少は改善されているのでは・・・?
そう思いつつ惨敗続きなので、チャレンジする気なくなっちゃったんですよねぇ(´・ω・)

今度の通院で多分5mgに減ると思うので、年末年始の連休中にまたチャレンジしてみようかなぁ、とは思っています。
そのために色々ググって、少しでも快眠を得るための情報を漁って行きたいと思います。

とりあえず今度の受診日に、主治医の先生に眠剤の減らし方を聞いて来ようと思っています。
勝手に半分に割って飲んだりしてもいいのかも確かめたいし。
少しずつ量を減らして行けるんだったら、その方法も試してみたいので、必ず聞いて来たいですね(`・ω・´)

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ステロイドの副作用

病気のせいでステロイドを服用している方も多いと思いますが、何が困るってあの副作用の多さですよね!
ステロイドが素晴らしい薬だというのは体験済みですし、感謝もしています。
そうは言っても、副作用なんてないに越したことないんですよね~。

代表的な副作用といえば、やっぱりムーンフェイスでしょうか。
私は、ステロイドの服用が始まって、1ヶ月近く経ってからムーンフェイスが出始めました。
最初の内はムーンが出て来ないから結構安心していたんですけど・・・。
時間差で来ましたね。

一番最初に出た副作用は、軽い便秘不眠、そして多毛
鼻と口の間の産毛がすごかったです。
毎日カミソリで剃っても、翌日には触ったらフサフサな感触がするくらい。
入院中に毎日髭剃りですよ。
女なのに(´・ω・)
これはなぜか一時だけで、2週間前後で気にならなくなりました。
便秘はまぁ・・・元々快便家ですが、たまに3日くらい出ない事があっても全然平気なので、さほど気にならなかったですw
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不眠・・・これは未だに困っていますね!
入院中は大部屋だったので、周りの物音や、消灯後に電気を消してくれない人もいたり、これらが不眠に拍車をかけ、本当にストレスでした。
あの頃は毎晩ひたすら外が明るくなるのを待っていました。
なので、日の出時間を体感で覚えてしまっていたくらいです。
ウトウトしては1時間ごとに時間チェックしていましたから。
あの頃に比べれば全然マシにはなりましたが、やっぱり快眠とは縁遠いです。
眠剤もまだ手放せないですしね。

余談ですが、昨夜枕をウォーター枕に戻してみた結果、不快な後頭部の痛みは綺麗サッパリ消え去りました。
やっぱりセブンスピローもダメだったようですね。
残念ながら返品決定です。

あとは、何と言っても薬剤性膵炎!
これが一番困ったし、ショックな副作用でした。
副作用のせいで余計な病気になってしまうのが一番嫌でしたから、これはかなり精神的につらかったです。

そして、まだ決定的な症状が出ている訳ではないのですが、ちょっと血糖値が高め
薬剤性の糖尿病になったりしたら、本当に洒落になりません。
ステロイドも6mmまで減った事だし、少し落ち着いてくれるといいのですが。
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更に血圧
元々血圧はちょっと高めの130台後半でしたが、退院した数カ月後からやたらと高くなってしまいました。
158とか160なんて珍しくなく、一番高い時で170が出た時は真剣に何とかしなければ!と思いました。
でも病院でB先生(研修医)に相談しても
「薬出しますか?」
で終わり・・・。
「これ以上薬は増やしたくないです」
と言って断りましたが。
でも、ダイエット目的で食べ始めた『玉ねぎヨーグルト』のお陰で、130台まで戻ったんです。
肝心のダイエット効果は微塵も感じないのが残念ですがw
他に何も心当たりがないのと、2週間ほど玉ねぎヨーグルトをサボったらまた血圧が高めになったので、玉ねぎヨーグルトのお陰と思って良いと思います。
降圧剤って認知症になりやすいとか言うじゃないですか?
怖いじゃないですか(´・ω・)
血圧が高めで悩んでいる人には、是非一度試してもらいたいと思います。マジで。

あとこれは確定じゃないんですが、ステロイドミオパチーの可能性も無きにしもあらずです。
手足の妙な脱力感は入院中からずっと続いていて、薄皮を剥ぐように少しずつ少しずつ楽になってはいますが、決してゼロにはならないのです。
多発性筋炎の症状かと思っていたのですが、副作用のミオパチーの可能性もあることを、A先生(主治医)に言われたことがあります。
「退院したから日常生活がリハビリだよね♪」
とか思ってリハビリをすっかりサボってしまっていましたが、先日リハビリの先生にお会いした時に「ちゃんとやらないとダメですよ」
と釘を刺されたので、もうちょっと真面目にやらねば、です。

ムーンフェイスは多分、大分落ち着いたと思います。
元々顔が丸いので断言できないのが悲しい所です(´・ω・)
ステロイドを服用し始めたばかりで、副作用に不安を抱いている人も多いんじゃないかな、と思って私の体験談を書いてみました。
ちょっとでも参考になれば幸いです。

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私が経験した、間質性肺炎の初期症状

今日はとてもいい天気で暖かでした。
体調の悪い方も、こんな日は幾分過ごしやすいのではないでしょうか?

私は、膠原病由来の間質性肺炎を患っています。
原病は膠原病(多発性筋炎)なのですが、先に自覚症状が出たのは間質性肺炎の症状でした。

当時私はバイク便の仕事をしていました。
2階の倉庫から商品を取り出して、バイクで配達先へ届ける仕事です。
当然、階段の上り下りが頻繁にあります。
ある日、いつも通りに仕事をしているのに、何だか妙に胸苦しいというか・・・ちょっと気分が悪くなりました。
今まで感じた事のない感覚に戸惑いつつ仕事をこなす内に、30分もしたら症状が治まったのです。
「あれ?何だったのかな」
と思いはしましたが、深く考える事なくその日は仕事を終えました。
これが2017年5月の始めでした。
当時つけていた日記によると、5月8日に
「風邪をひいてだるい」
と書いてあるので、この頃には既に症状が出ていたのだと思われます。
5月の初めからずっと微熱が下がらなくなった事はよく覚えていますから。
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当時の日記を読むと、何だか切ないような我ながら気の毒なような。
自分が難病に罹っている事も知らずに、ひたすら「その内良くなる」と信じてたもんなぁ。
微熱が2週間も下がらないのはおかしい、と職場で指摘されて間もなく、今度は両手の人差し指と中指の関節が痛み出しました。
たしか5月22日頃だったかな。
この頃になると、もう家事と仕事で精一杯でした。
微熱だけでなく、ずっとダルさが取れない。
そして決定的な事が起こったのが5月27日。

この日私は、次男の学校のPTA総会に出るため、電車に乗りました。
次男の学校は駅から徒歩10分くらい。
私はいつも大股で早足にサッサと歩きます。
この日も何時も通り歩いていただけだったのです。
なのに・・・息切れ。
苦しい・・・何で?
いつもと同じように歩いているだけなのに、何でこんなに息が切れるの?
途中で休みたかったけど、時間に遅れそうだったためそれも出来ず、
文字通り息も切れ切れの状態でやっと学校に着きました。
何だかいつもと様子が違う。
そう思って、帰りは途中でコンビニに寄って休みつつ、ちょっとゆっくり歩いて駅に向かいました。
でも駅でホームについた時、立っているのがしんどくてしゃがみ込んでしまい、そのまま電車を待ちました。
「何かがおかしい・・・」
そう思いつつ、車を停めておいた駅に到着し、駅の階段を登ったのですが。
私は自分の体調がおかしい事に気付いていたので、階段はものすごく気を使ってゆっくり、ゆっくりと登ったのです。
それなのに。
階段を登り切った所で、もう立っている事もできないと思うほどの息苦しさに見舞われました。
「何で?何で?」
と思いつつ、
「もう少し歩けば駐車場に出る。とにかく車まで戻って、車でしばらく休もう。」
そう思ってかなり無理をして車まで歩きました。
やっとの思いで車に乗ってシートを倒して休みつつ、
すぐに病院に行かなければまずい!と思いました。
そして多発性筋炎発症~退院まで その1に繋がる訳です。

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思えばこの時点で私は、間質性肺炎の急性増悪を発症していたのですね。
この後間質性肺炎の症状に加えて、徐々に多発性筋炎の症状も出て来ました。
何だかしゃがむと立ち上がるのに随分苦労をする。
手足をちょっと動かすと、波のような痛みがさーっと手足を走っては消えて行く。
当時はとにかく訳が分からず、ただひたすら毎朝痛み止めを飲んで、何とか1日仕事と家事をこなしていました。
でもそれも段々ままならなくなるほど、症状は日に日に悪化していきました。
あの頃毎朝目が覚めるたびに
「また今日もしんどい1日が始まるのか・・・」
と憂鬱でしかたありませんでした。
このまま一生症状が良くならないんだったら、生きていてもしんどいだけだ、いっそ死んでしまいたい・・・。
本気で毎朝そう思っていました。

妻がそんなしんどい状態なのにも関わらず、
旦那がただの一言も労りの言葉を発しなかった事は一生忘れません (#゚Д゚)
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でも皮肉な事に、急性増悪だったからこそ、比較的早めに受診できたんだろうと思います。
これが普通にゆっくり進行していたら、
「年を取ったせいだ」
で片付けて、肺の線維化がもっと進んでいたのかも知れません。
そして、ステロイドがなければ、きっと私はあの時死んでいたんだろうなー、と当時を振り返っては考えます。
副作用が多くて厄介な薬だけど、あの頃の私を救ってくれた、まさに奇跡の薬なんですよね。
感謝しつつ、将来的にはステロイドを飲まずに寛解してくれるといいなーと思っています。

後悔している事といえば、微熱が2週間続いた時点で
さっさと受診するべきだったという事。

もしそうだったら、入院があと1ヶ月くらい早まって、肺の状態も今よりは良かったのでは・・・と考えてしまいます。
自覚症状は少なくても、きっと肺のレントゲンを撮れば、医師には異常がすぐに分かったのでしょうから・・・。

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【多発性筋炎】受診日(15回目)【間質性肺炎】

今日は退院後15回目の受診日でした!
体調も特に変わりないし、咳も出なければどこか痛い訳でもない。
そんな私が一番気にしているのが、やはり肺の線維化に関わってくるKL-6という数値。
前回一気に40も上がってて結構凹んだんですよねぇ(´・ω・)
果たして今日はどうか!?
KL-6は、先月の721から718へ、微減でした。
まぁ、これは横ばいですね(´・ω・)
上がる時は一気に上がるのに、その後ほぼ下がらないんだよなー!
こうしてじわじわ上がっていくのだろうか・・・怖すぎる!

今メインで診てくれているのは、研修医のB先生。
でも、私は入院時の主治医だったリウマチ科のA先生に見てもらいたいんですよねぇ。
一応、B先生の後にちゃんとA先生の診察も入れてくれてるんですけどね。
これは退院時に私がA先生に懇願したお陰ですw
だって受給者証申請の診断書は、難病指定医じゃないと書けないんですよ。
それなのに、研修医の先生にしか診てもらえないなんて、不安すぎるじゃないですか!
そうじゃなくても、誰だって研修医よりも専門医に診てもらいたいじゃないですかorz
B先生には申し訳ないけど、聞きたい事はA先生に聞くようにしています。
何より、A先生は患者に希望を持たせる言い方をしてくれるので、好きなんですよねぇ。

ステロイドは今回また1mg減って6mgになりました。
B先生曰く、
「5mgから先、減らして行くかどうか悩ましい」
そうなので、次回A先生に相談してみる(´・ω・)
放って置くとB先生、私に
「どうします?」
とか聞いて来かねんw
実際そういう事あったしなw
いや、患者に聞かれても困りますってw
それを判断するのが医者の仕事でしょうにw

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間質性肺炎を患ってからの将来観

少しずつ朝晩は冷えるようになって来ました。
膠原病を患っている方には、やっぱり冬はつらい季節なのではないでしょうか?
幸い私は予後も良好で、レイノー等もないですし、体に痛みを感じる事もありません。
あるのは手足の脱力感と、病気前より息切れしやすくなった、という程度です。
大分恵まれている方だと思います。
退院直後からこんな感じで、手足の脱力感は少しずつ軽減していて、今では大分軽くなりました。
同じ病気の方々のブログを読むまで、私はこれが当たり前なのだ、
これからもっと楽になっていくんだ、と思っていました。
でも、全然違いました。
毎日体の色んな部分の痛みに耐えている人の、何と多いことか。
自宅で酸素療法をしている方もいます。
退院後、普通の生活を送れるようになるまで2年かかった、という人もいました。
体がだるくて起きている事ができず、寝たきりで数年過ごした人もいました。
ステロイドが減るたびに離脱症状に苦しむ人もいました。
退院して2ヶ月も経たない内に働くことができた私は、かなり回復が早かったんだな、と思い知りました。

そんな私でも、やっぱり病気をした後は以前より「死」を身近に考えるようになりました。
前は、絶対旦那より長生きする気満々だったんですw
多発性筋炎だけならそれもまぁ・・・可能だったと思うのですが。
間質性肺炎は本当に厄介で・・・。
知れば知るほど、
「あと何年生きられるのかな」
と考えずにいられません。
何しろネットで調べた間質性肺炎の5年生存率が50%くらいでしたからね!
サイトによって割とバラバラですが、やっぱり暗澹たる気持ちになる数字。
主治医の先生曰く、私の症状は大分落ち着いているそうです。
が、一度急性増悪を起こしていますし、将来的な事は誰にも分かりません。

今、日本の女性の平均寿命は約87歳。
以前は、少なくとも85歳くらいまでなら生きられるかな、と思っていました。
でも今は、75まで生きたら上等なのかなぁ・・・と弱気になってしまいます。
今年始めた個人年金は満期まで30年で設定しました。
でも、もし途中で必要になれば20年くらいで解約しても十分増えている事と推測されます。
でもそこから投資して更に増やすには、私には時間はないんだろうな~。
もっと若い内からきちんと将来を見据えた貯蓄をするべきだった・・・いや、していたんだけど。
旦那が勝手に仕事やめたせいで、収入が激減して、そこから色々おかしくなったんだよな~!
多分私がこんな病気になったのも、収入が激減したストレスのせい(´・ω・)

でもまぁ、過ぎ去った事を今アレコレ言っても仕方ないので、前向きに考えて行かなければなりません。
とりあえず贅沢は言わない。
子供がそれぞれ自立したら、いつ死んでもいいかな、と思っています。
長男は1人で自立するのは無理なので、グループホームを希望しています。
ただ、需要に供給が追いついていないので、いつになったら入れるのか、全く目処が立っていません。
長男をグループホームに入れて、成年後見人をつける。
これが最大の目標。
これができない内は何が何でも死ねないし、心残りで死んでも死にきれない!
そして次男の自立。
ちゃんと就職して、1人で食っていけるようになること。
そうしたら、私は終活に入るのがいいのかな。
あ~、旦那は、健康だけが取り柄なので、自分の事は自分で何とかしてもらおう。
子供が独立したら、もう自分の事だけを考えて生きて行きたいんですよね~。
旦那の事も、もう一切したくないので、お互い自分の事は自分で全てやる事にしたいなー。
何なら別居したいよ、ホントにw
健康オタクな私が病気になって、超絶不健康な生活をしている旦那が病気一つしないって、本当に不公平だなと思いますがw

 

 

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しつこい風邪はステロイドの副作用が原因?

先週の名古屋行きで風邪をもらって来て、昨日辺りからようやく体調も戻ったのですが・・・。
なぜか今日、夕方からまた体調が怪しくなっています!
( ;´Д`)いやぁぁぁぁぁー!
収まっていた頭重感と首の付根のだるさ。
微熱はないのですが、この際熱の有無よりこのだるさ!
そして、熱が必ず出る前兆の「喉の違和感」。
これ私にとっては相当ヤバイです。

やっぱりステロイドのせいで治りが悪くなっているのでしょうか?
蚊に刺されても1週間くらい痒みが治まらないし、これもステロイドのせいなんじゃないかなーと思っていましたが、
風邪もやっぱり治るのに時間がかかるんですかねぇ(´・ω・)

私は、今まで喉に違和感が出て熱が出なかった事は1回しかありません!
その1回というのは今年の夏で、早めの葛根湯で熱を回避できました。
なので、先程急いでまた葛根湯を飲みました。
これで発熱を回避できるといいんだけど・・・。
この程度の違和感ってタカをくくっていると、本当に必ず熱が出るので。

明日は子供達に朝早い時間の予定がないので、ちょっとしたチャレンジをしたいと思っています。
私はステロイドの不眠のせいで、毎日眠剤を飲んでいますが、寝付き自体はとても良いのです。
眠剤なしでも、寝付くのに10分かかってないと思います。
でも眠剤なしだと、中途覚醒した後が眠れない!
眠剤を飲んでもここ数日は早朝覚醒で5時前後に目が覚めてしまうのですね。
地味につらい。
なので!
今日は眠剤なしで一度寝て、中途覚醒した時に眠剤を飲んでみようと思っています。
そうすると朝眠剤の影響が何時まで残るか分からないので、一応次男には事情を話して了解をもらいました。
まぁ、夜中の2時とか3時に目が覚めても眠剤の影響感じたこともないので、大丈夫だろうとは思いますが。

たまには朝日の眩しさで目覚めてみたいんだよorz
明日は何時に目が覚めるだろう。
ちょっとワクワクですね(*´∀`)

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眠剤なしで眠りたい!

私は去年多発性筋炎と間質性肺炎を発症したため、ずっとステロイドを服用しています。
ステロイドと言えば、副作用の多さ&恐ろしさで悪名高い薬ですね。
でも、私はこの薬がなかったらきっと、去年間質性肺炎の急性増悪で死んでいました。
そういう意味では感謝してもしきれない薬でもあるのです。
ステロイドはもしかしたら・・・多分一生付き合っていかなくてはならない薬。
やめたくても簡単にやめられるものではありません。
だからこそ、ステロイドを服用しつつ、少しでも快眠を得たい!
というのが私の願いであり、目的です。
去年からもう1年以上、寝る前に眠剤を服用している訳ですが、できれば眠剤なしで眠れるようになりたい!
そう思って、ネットで色々調べました。
なので、調べ得る限りの事はほぼ試し済みなのです。
その中でとりあえず効果があったと思われるものをご紹介します。

はちみつミルク
名前の通りですw
ホットミルクにはちみつを大さじ1杯入れて、寝る少し前に飲む。
これは開始直後はすごく効果を感じました。
でも、毎日続けていると最初ほどの効果を感じない・・・体が慣れてしまったという事でしょうか。

寝室を真っ暗にする
普段は電気を消せば真っ暗になるんですが、夏場はエアコンや扇風機の僅かな光が結構気になります。
少しの光でも睡眠には良くないとの事なので、エアコンや扇風機を使っている時はアイマスクをしていました。
入院した時に同室の人が電気を消してくれない事が多々あったので、その時アイマスクを買っていたんですよね~。
効果は・・・微妙w
しないよりはした方がいいかもしれない、という程度でした。

枕を変えてみる
元々枕ジプシーな私。
ネットでこれは、と思う様々な枕を試して来ました。
でも未だにこれ!という枕に出会えていない。
今ショップジャパンのセブンスピローという枕を注文中で、もうすぐ届く事になっています。
もし合わなくても送料負担だけで返品OKなので、試すだけ試そうかと( ; ゚Д゚)
結構楽しみw

寝具にこだわる
2年ほど前ですが、ベッドマットレスをポケットコイルのものに買い替えて、更にパッドも新調しました。
このパッドがスグレモノで、これだけで大分寝心地がいいのです。
やっぱり寝具の合う合わないって大切だなぁと実感しました。

他にもいろいろやっていますが、パッと思いつくのはこのくらい。
尤も、どれも眠剤アリで試した場合なんですよね。
眠剤なしだと中途覚醒2回目くらいから眠れなくなってしまうので、まだまだ眠剤は手放せそうにないのですが。
いつかは眠剤なしで快眠を手に入れたいです!
またいい方法見つけたらアップします(*´∀`)

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膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その5(終)

膵炎発症から前後するけど、7月に入った頃にもなると体調も大分楽になって、暇を感じられるくらい余裕が出来た。
その時点でLINEでお友達にぼちぼち入院している事をお知らせ。
退屈だから誰か見舞いに来て~って事でw
入院初期なんて体調が悪くて退屈なんか感じる余裕もなかったから、これは大分回復した証拠。

この頃はパルス2回目も終わって、飲み薬のステロイドを毎日60mg飲んでいた。
他の人の症状を見ると、鬱状態になって悲観的になって泣いていたり、
逆にステロイドハイになってやたらとテンションが上がったりっていうのを見たけど、
私は至って平常運転だったw
鬱も躁も出ず、全く普通。
不眠と便秘以外に特に副作用もなし。
まぁその後膵炎になったんだけどさorz
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お友達もぼちぼちお見舞いに来てくれたり、7月も半ばを過ぎると点滴台をコロコロさせながら1階(私の入院していた病棟は5階)のコンビニまで行けるようになった。
とにかく暇なので、買いたい物があるわけでもないのによくコンビニまで散歩していたw

それにしても困ったのが、スマホの速度制限とバッテリーの持ちの悪さ。
病院Wi-Fiないんだよねぇorz
だから7月半ばで通信制限かかっちゃってさ。
それでなくてもやることがないから、どうしてもスマホいじっちゃう。
バッテリーもガンガン減る。
なのでちょっと使わない時はいつも充電してた。
スマホがいつも熱かったなぁw
テレビはカード代がバカ高いので、厳選した番組を週3~4番組しか見ていなかった。
それでもテレビカードだけでトータル1万近く使ったもんなぁorz

そして7月半ばにしてようやくCPKが3桁(700台)まで落ちたので、
その頃からリハビリ開始。
とにかく暇だったので早くリハビリを始めたかったので嬉しかった。
この頃一応毎日散歩していたので、それなりに歩けるつもりでいたのだが、B先生に
「階段はまだ無理だと思います」
と言われて気付いた。
そうだ、私今絶対階段昇り降りできないわ!
これじゃ家で生活できないじゃん!
歩くのだってまだまだゆっくり慎重に行かないと怖い状態だしね…。
それでも、一番状態が悪かった時は上半身の着替えだけで息切れして休み休みだったもんな。
それから考えれば本当に少しずつだけど、毎日回復はしてる。
昨日できなかった事が今日はできる。
この連続で、ちょっとしたことだけど嬉しかったのをよく覚えている。
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パルス開始直後は指先に力が入らなくて髪もうまく結べなかった。
だってシュシュが広げられないんだよw
ゴムが固くて、指でゴムを広げられなかった時はもう、
びっくり通り越して笑っちゃったわw
こんな事もできないのか!って。
でもそれも数日後にはできるようになって、髪もうまく結べるようになった。
ベッドの縁に座る事はできたけど、ベッドの上に足を伸ばして座ることはできなかったのも、ある朝何とかできるようになった時も嬉しかったなぁ。

そんなこんなで7月下旬、やっとCPKの数値が基準値になった。
A先生が病室まで教えに来てくれて、
「もう少しです!」
とガッツポーズまでしてくれたw
とても嬉しかったw
終わりの見えない入院生活で、やっと退院の文字が見えた瞬間だった。
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そして8月に入ってから、このまま悪くならなければ、来週退院だと言われた。
ステロイドも少しずつ減っていて、この頃には1日30mgだった。

しかし退院する前にやっておかねばならない事があった。
旦那の家庭内禁煙である。
そもそも私がこの病気になった原因の大部分は旦那によるストレスだと
割と真剣に思っている。
その1つがタバコ。
家の中だけでもやめてくれって頼んでも聞いてくれなかった。
毎朝寝室のドアを開ける度に家中に漂うタバコの臭いに、
どれだけストレスを感じていたか!
これを機に、家の中で吸うのだけはやめてもらわねば!
A先生に
「主人がタバコを吸うんですけど、やっぱり家の中で吸うのはやめてもらった方がいいですか?」
と聞いたら
「そうですね、できるだけやめてもらった方がいいです」
と言われたのを、100倍くらい大げさに伝える事にしたw
それに加えて予め私の母からも旦那に伝えておいてくれるように頼んだ。
その上で旦那に電話したら、意外とアッサリ了承されたので少々拍子抜け。
ついでに、これからの生活で心がけて欲しい事を説明して電話を切った。

そして血液検査の結果、退院が8月10日に決定した。
6月15日に入院して、実に57日目。
私が一番気がかりだったのは飼い猫の事だった。
子供は母や旦那が見舞いに連れて来てくれたけど、猫だけはそうも行かぬ。
猫に会いたくてしょうがなかった。

退院の日、母と次男(長男は作業所があったため不在だった)そして姉まで来てくれた。
でも家にいるはずの旦那は来ないw
まぁ奴はそういう奴なんだよ。
だから最初からアテにする気もないのだが。
トータル57日の入院。ほぼ2ヶ月だよね。
長かったー!
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家に帰ったら、真っ先に猫を探した。
猫の小さな脳みそで2ヶ月も会わずにいたら忘れられちゃうんじゃないか、と不安だったしw
幸いウチの猫はちゃんと覚えていてくれて、嬉しそうな顔をしてくれた。

入院中もずっと私の母が泊まり込みで家事をしてくれていたのだが、退院後もしばらく残ってくれる事になった。
退院直後じゃまだ何もできないだろうと。
それなのに私は翌日からほぼ普通に生活していたw
だって頑張ればできるんだもん、やらなきゃ。
洗濯、トイレ掃除、猫トイレの砂替え。
翌日の朝息切れしながらやっていたら、母に心配されたw
でも頑張ればできるならやっちゃうよね、自分で。
母には食事作りだけをお願いした。

病院ではほぼ1日寝ていたから、家でも1日の大半を寝て過ごさないとしんどいだろう、と母は思っていたようだ。
でも私にしてみれば、病院で寝ていたのは他にやることがなかったからってだけの話で…。
いつでも好きなことができる自宅でまで寝ているほど具合が悪い訳ではなかったのだよ。

この頃の体調は「笑っちゃうほど順調」だった。
実際それは今現在も同じ。
だから、ネットで色々調べるまではこれが普通なんだと思っていた。

でも、退院後普通に生活できるまでに2年かかったとか、ステロイドの離脱症状でだるくてまともに生活できないとか、そんな話を読んだ時は本当にびっくりした。
私がこんなに体調がいいのは、単に運が良かっただけなのか…。

そりゃいくら調子がいいと言っても、病気になる前とは違う。
ゆっくりでないと歩けないし、ちょっと動いたらやっぱり少しだけど息苦しくもなる。
退院して一番びっくりしたことは、ニンジンが切れなかった事w
ニンジンってこんなに固かったんだ!っていうのと、
今まで全く気にならなかったニンジンが固くて切れないっていう事にビックリだ。
やっぱり相当筋力が落ちてるんだなぁ、と。
何しろ入院して体重測定したら、1週間で4kg落ちた時あったからなぁ。
あれほぼ筋肉なんだよなぁ、勿体無い。
4kgの筋肉を取り戻すには、一体何ヶ月、何年かかるんだろう…。
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どうせなら免疫も、筋肉じゃなくて脂肪を攻撃して溶かしてくれれば良かったのに、と何度思った事か。

こうして私の約2ヶ月の入院生活は終わった。
もう随分遠い昔の事のような気がしている。
実際細かい事は忘れちゃってるんだよね。

今体調がいいのを楽観しないで、いつかまた入院するような事になるかも知れない、と危機感を持っていなければと思う。
なので、とりあえずサブのノートパソコン買いましたw

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膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その4

7月に入って割とすぐ、酸素が取れた。
指に常時付けていた酸素を測るモニターも外された。
酸素量が安定して来たからもういいって(・∀・)
そして、支えなしでも歩けるようにもなった。
今までは点滴台に酸素ボンベを取り付けて、そこからチューブで繋いで酸素を吸いながら点滴台に捕まっての移動だった。
おまけにでっかい酸素モニターも付けさせられてたし。
これらが必要なくなって、体一つでスムーズに移動できるのがなんと素晴らしい事か!
尤も、まだまだ足に力が入らなくて脱力感が強いので、よくよく注意して歩かないとならない。
今軽く膝カックンされたら、余裕でその場で崩れ落ちる自信があるw

とにかく少しづつではあるけど順調に回復している。
副作用らしい副作用も、便秘気味と不眠以外出てない。
順調なので1時間の外出許可を貰って外に買い物にも行けた。
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ところがである。7月18日。
朝食後しばらくして、左脇腹と左肩が痛みだした。
朝食後にパンも食べたりしたんで、ちょっと食べすぎたのかな、と思ったのだが、明らかに食べ過ぎの痛みじゃない。
しかも左肩も痛いっていうのはおかしい。
???
と思いながら横になっていたが、その内収まった。
が、その日の昼食時。
食事中にまた左脇腹と左肩が痛くなった。
ちょっと痛いなんてもんじゃない。
「いたたたた…!」
とうずくまって食事を中断しないといられない痛さ。
しかも息を吸うとひどく痛むので、呼吸するのも一苦労。
明らかに食と連動して痛くなるようだ。

その後様子を見に来たA先生とB先生に相談したけど、この痛み具合が伝わらないのかイマイチ反応が薄い。
まぁ少し様子を見ましょう、みたいな(-“-;)
自分でググってみた結果、どうも膵炎の症状が非常に当てはまるのだが、先生なら症状を言ったらすぐ分かると思ったのに。
言わないという事は膵炎は考えすぎなのか?
さすがに素人が「ネットで調べたら膵炎っぽいんですけど、違いますか?」
とは聞きづらいなぁ、と思って言わなかった。
アルコールの取り過ぎでなる場合が多いって書いてあったしけど、
アルコールなんて一切取ってないしなぁ。

先生方は特に何もしてくれないけど、食事をするとまともに食事できないほど痛む。
どう考えても気のせいとかのレベルじゃないんですけど!
という事で、翌朝看護師さんに
「どうしても痛いので、先生にそう言って下さい」
とお願いした。
A先生は「脇腹と左肩の痛みは別ものでしょう」と言われたが、どう考えても同時に痛くなるんだってば!
「いえ、連動してます」
としっかり言っておいた。
B先生は「食事で痛くなるなら胃関連かなぁ」と。
とりあえず痛みが出てから3日目にやっとCT検査をしてもらえる事になった。
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検査をした日の夕方、A先生が病室に来るなり
「すみません、膵炎でした」
と。
ほらやっぱりー!!
何で素人が簡単に検索で分かる事をプロが気付かないんだよー!
「でも、膵炎なら上がってるはずの数値が低いんですよね」
と先生は仰ったが、症状が出て48時間経過したら数値はどんどん下がって、
平常値になるんですってよ。
Google先生が教えてくれたよ。
痛くなったの18日で、CT取ったの20日。
とっくに48時間経ってますw
素人が簡単に調べられる事をなぜ医者が知らないwww
専門外だからなのか?(-“-;)

結局ステロイドの副作用で膵炎になったorz
入院中暇だったのでスマホで日記をつけていたのだが、この日の日記はまぁ、本当に落ち込んでいたのがよく分かる。
実際とてもショックを受けた。
ムーンフェイスやらニキビやらならまだいいけど(この頃は何も出てなかったけど)
病気系の副作用だけはならないで欲しかったのに。
とうとう恐れていたことが…!
自分の病気が難病指定されているような重病だって知った時も、
ここまでショックは受けなかった。
ていうか、難病の事も自分でネットで調べて知ったよ!
先生そういう説明何もしてくれないんだもん!
更に医療費補助してくれる受給者証の申請が出来ることも自分で調べたよ!
だって先生そういう説明何も(ry
いや流石にもうちょっと説明してくれないと困っちゃうよホントにorz

そしてその日から地獄の24時間連続点滴が始まった。
何でも、絶対に漏れたらまずい点滴だから、慎重を期すために腕からではなく首の太い血管に針を入れて、そこから点滴するんだって。
いきなり病室でプチ手術状態にorz

麻酔して点滴針を入れて、数針縫って針を固定して、ご丁寧にレントゲンで針がちゃんと血管に入っているか確認して、それでやっと点滴開始。
何という慎重さ((;゚Д゚)ガクガクブルブル
更に点滴がスペシャル仕様。

なんか制御装置までつけられてるww
点滴が詰まったりするとエラー音が鳴り響く。
点滴が終わってもエラー音が鳴り響くw
同室の人達には非常に気が引けたが、まぁ迷惑はお互い様だよな。
私は普段ほぼ迷惑をかけるような音も出さずに大人しくしていたが、周りのばぁさん達にはそれなりに迷惑かけられてたしな。

このスペシャル仕様で2種類の点滴をほぼ絶え間なく入れ続ける。
1種類は8時間かけて、もう1種類は16時間かけて。
せっかくおさらばできた点滴台と感動の対面(‘ω`)
また点滴台を引き連れて歩くのか。
前はそれでも点滴台が支えになっていたので助かってはいたが、今は1人で歩けるから完全にお荷物。
ガラガラと後ろ手に引っ張っていかにも邪魔、という感じで歩いていたw
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せっかく原病である多発性筋炎は少しずつとはいえ順調に良くなっていたのに、副作用の膵炎がこれでは…。
最早どっちがメインの病気だったのか、自分でも分からなくなりそうになる。

ググってみたら、ちゃんと副作用として「薬剤性膵炎」ってのがあるそうじゃないか!
何で素人が簡単に調べられる事を医者が(ry

退院して色々調べた今、お医者さんや薬剤師さんの言う事はあんまり真に受けない方がいいのかもしれないなぁ、と思っている。
だってステロイドの副作用で血糖値が上がった時に、
「このまま糖尿病になりそうで不安です」
と相談した市民病院の薬剤師さんは
「そういう事は滅多にないから大丈夫ですよ」
と言い切っていたが、調べたらそれで糖尿になった人の体験談、ザクザク出て来るよ!
膵炎の見当を付けられなかった担当医A、B先生の事もあるし。
(だが私はA先生は信頼しているし、とても好きだ)
何というか楽観的というか…。
色々説明不足なのは言わずもがな!

この時点で7月中の退院は無理だなぁ、と悟った。
まさかこんなに長引くとは…。
退院時期が全く見えなくて、毎日不安だったなぁ、この頃。