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膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その5(終)

膵炎発症から前後するけど、7月に入った頃にもなると体調も大分楽になって、暇を感じられるくらい余裕が出来た。
その時点でLINEでお友達にぼちぼち入院している事をお知らせ。
退屈だから誰か見舞いに来て~って事でw
入院初期なんて体調が悪くて退屈なんか感じる余裕もなかったから、これは大分回復した証拠。

この頃はパルス2回目も終わって、飲み薬のステロイドを毎日60mg飲んでいた。
他の人の症状を見ると、鬱状態になって悲観的になって泣いていたり、
逆にステロイドハイになってやたらとテンションが上がったりっていうのを見たけど、
私は至って平常運転だったw
鬱も躁も出ず、全く普通。
不眠と便秘以外に特に副作用もなし。
まぁその後膵炎になったんだけどさorz
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お友達もぼちぼちお見舞いに来てくれたり、7月も半ばを過ぎると点滴台をコロコロさせながら1階(私の入院していた病棟は5階)のコンビニまで行けるようになった。
とにかく暇なので、買いたい物があるわけでもないのによくコンビニまで散歩していたw

それにしても困ったのが、スマホの速度制限とバッテリーの持ちの悪さ。
病院Wi-Fiないんだよねぇorz
だから7月半ばで通信制限かかっちゃってさ。
それでなくてもやることがないから、どうしてもスマホいじっちゃう。
バッテリーもガンガン減る。
なのでちょっと使わない時はいつも充電してた。
スマホがいつも熱かったなぁw
テレビはカード代がバカ高いので、厳選した番組を週3~4番組しか見ていなかった。
それでもテレビカードだけでトータル1万近く使ったもんなぁorz

そして7月半ばにしてようやくCPKが3桁(700台)まで落ちたので、
その頃からリハビリ開始。
とにかく暇だったので早くリハビリを始めたかったので嬉しかった。
この頃一応毎日散歩していたので、それなりに歩けるつもりでいたのだが、B先生に
「階段はまだ無理だと思います」
と言われて気付いた。
そうだ、私今絶対階段昇り降りできないわ!
これじゃ家で生活できないじゃん!
歩くのだってまだまだゆっくり慎重に行かないと怖い状態だしね…。
それでも、一番状態が悪かった時は上半身の着替えだけで息切れして休み休みだったもんな。
それから考えれば本当に少しずつだけど、毎日回復はしてる。
昨日できなかった事が今日はできる。
この連続で、ちょっとしたことだけど嬉しかったのをよく覚えている。
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パルス開始直後は指先に力が入らなくて髪もうまく結べなかった。
だってシュシュが広げられないんだよw
ゴムが固くて、指でゴムを広げられなかった時はもう、
びっくり通り越して笑っちゃったわw
こんな事もできないのか!って。
でもそれも数日後にはできるようになって、髪もうまく結べるようになった。
ベッドの縁に座る事はできたけど、ベッドの上に足を伸ばして座ることはできなかったのも、ある朝何とかできるようになった時も嬉しかったなぁ。

そんなこんなで7月下旬、やっとCPKの数値が基準値になった。
A先生が病室まで教えに来てくれて、
「もう少しです!」
とガッツポーズまでしてくれたw
とても嬉しかったw
終わりの見えない入院生活で、やっと退院の文字が見えた瞬間だった。
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そして8月に入ってから、このまま悪くならなければ、来週退院だと言われた。
ステロイドも少しずつ減っていて、この頃には1日30mgだった。

しかし退院する前にやっておかねばならない事があった。
旦那の家庭内禁煙である。
そもそも私がこの病気になった原因の大部分は旦那によるストレスだと
割と真剣に思っている。
その1つがタバコ。
家の中だけでもやめてくれって頼んでも聞いてくれなかった。
毎朝寝室のドアを開ける度に家中に漂うタバコの臭いに、
どれだけストレスを感じていたか!
これを機に、家の中で吸うのだけはやめてもらわねば!
A先生に
「主人がタバコを吸うんですけど、やっぱり家の中で吸うのはやめてもらった方がいいですか?」
と聞いたら
「そうですね、できるだけやめてもらった方がいいです」
と言われたのを、100倍くらい大げさに伝える事にしたw
それに加えて予め私の母からも旦那に伝えておいてくれるように頼んだ。
その上で旦那に電話したら、意外とアッサリ了承されたので少々拍子抜け。
ついでに、これからの生活で心がけて欲しい事を説明して電話を切った。

そして血液検査の結果、退院が8月10日に決定した。
6月15日に入院して、実に57日目。
私が一番気がかりだったのは飼い猫の事だった。
子供は母や旦那が見舞いに連れて来てくれたけど、猫だけはそうも行かぬ。
猫に会いたくてしょうがなかった。

退院の日、母と次男(長男は作業所があったため不在だった)そして姉まで来てくれた。
でも家にいるはずの旦那は来ないw
まぁ奴はそういう奴なんだよ。
だから最初からアテにする気もないのだが。
トータル57日の入院。ほぼ2ヶ月だよね。
長かったー!
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家に帰ったら、真っ先に猫を探した。
猫の小さな脳みそで2ヶ月も会わずにいたら忘れられちゃうんじゃないか、と不安だったしw
幸いウチの猫はちゃんと覚えていてくれて、嬉しそうな顔をしてくれた。

入院中もずっと私の母が泊まり込みで家事をしてくれていたのだが、退院後もしばらく残ってくれる事になった。
退院直後じゃまだ何もできないだろうと。
それなのに私は翌日からほぼ普通に生活していたw
だって頑張ればできるんだもん、やらなきゃ。
洗濯、トイレ掃除、猫トイレの砂替え。
翌日の朝息切れしながらやっていたら、母に心配されたw
でも頑張ればできるならやっちゃうよね、自分で。
母には食事作りだけをお願いした。

病院ではほぼ1日寝ていたから、家でも1日の大半を寝て過ごさないとしんどいだろう、と母は思っていたようだ。
でも私にしてみれば、病院で寝ていたのは他にやることがなかったからってだけの話で…。
いつでも好きなことができる自宅でまで寝ているほど具合が悪い訳ではなかったのだよ。

この頃の体調は「笑っちゃうほど順調」だった。
実際それは今現在も同じ。
だから、ネットで色々調べるまではこれが普通なんだと思っていた。

でも、退院後普通に生活できるまでに2年かかったとか、ステロイドの離脱症状でだるくてまともに生活できないとか、そんな話を読んだ時は本当にびっくりした。
私がこんなに体調がいいのは、単に運が良かっただけなのか…。

そりゃいくら調子がいいと言っても、病気になる前とは違う。
ゆっくりでないと歩けないし、ちょっと動いたらやっぱり少しだけど息苦しくもなる。
退院して一番びっくりしたことは、ニンジンが切れなかった事w
ニンジンってこんなに固かったんだ!っていうのと、
今まで全く気にならなかったニンジンが固くて切れないっていう事にビックリだ。
やっぱり相当筋力が落ちてるんだなぁ、と。
何しろ入院して体重測定したら、1週間で4kg落ちた時あったからなぁ。
あれほぼ筋肉なんだよなぁ、勿体無い。
4kgの筋肉を取り戻すには、一体何ヶ月、何年かかるんだろう…。
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どうせなら免疫も、筋肉じゃなくて脂肪を攻撃して溶かしてくれれば良かったのに、と何度思った事か。

こうして私の約2ヶ月の入院生活は終わった。
もう随分遠い昔の事のような気がしている。
実際細かい事は忘れちゃってるんだよね。

今体調がいいのを楽観しないで、いつかまた入院するような事になるかも知れない、と危機感を持っていなければと思う。
なので、とりあえずサブのノートパソコン買いましたw

作成者: すずかな

障害児の母をやって早20年以上・・・
自身は最近難病持ちになりました。

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