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広島と長崎の間で

日記
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広島と長崎の原爆記念日に挟まれた8月7日。
かつて「東洋一」と謳われた兵器工場、豊川海軍工廠の大空襲のあった日です。

私の住んでいる豊川市は、海軍工廠が建てられる事で発展した、軍事都市でした。
まぁ都市と言っても田舎ですけどねw
子供の頃から、近くを流れる川の事で
「戦争の時はこの川に被爆した人が水を求めて山積みになっていた」
等、物騒な話を聞いて育ちました。

当時は意味も分からず見ていた、何なら傍で遊んでいた慰霊碑。
大きくなってから、それが海軍工廠の空襲で亡くなった人たちを祀ったものだという事を知りました。

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市内の海軍工廠跡は現在は工業地帯になっていて、様々な企業が入っているのですが、全体の何分の一かはほぼ手付かずの状態でかつての建物等が残っていました。
これは名古屋大学が研究のために使っていた土地だったそうで、広い敷地さえあればできる研究だったため、工廠跡はそのまま放置されていた、との事です。
お陰で当時の貴重な建造物等がたくさん残っており、毎年2回の「海軍工廠跡見学ツアー」も開催されていました。
残念な事に名古屋大学が撤退してしまったため、少しずつ取り壊し&整備が進められ、当時の建造物はどんどんなくなっています。

広い敷地の一角は、海軍工廠平和公園になりました。
私個人としては、公園にするよりも名古屋大学が撤退した後もそのままの状態で保存していてもらいたかったなぁ、というのが本音です。

なぜか私は大人になってから、この海軍工廠に非常に興味が出たので、ネットで調べたり、工廠跡見学ツアーにも参加したりしていました。
そして市内のミュージアムでは、毎年海軍工廠展なるものが開催されています。
毎年やっているので、展示物はほぼ同じなのですが、毎年行かずにはおられません。
今年も行って参りました。

そこで新しいチラシ等があったので、もらって来たのがこちらです。

海軍といえば艦これ。
艦これをプレイする前から海軍工廠に興味を持っていましたが、プレイするようになってからはますます興味が増しました。
この服飾資料に乗っている制服、いかにも海軍っぽくてカッコいいですよね。
しかし海軍工廠展で展示されていた現物はなんかショボい。
これは、もっと違う生地だったら良かったんではないかと思います。
ゴワついたしわしわの生地だったので、そのせいでイマイチカッコ良く見えなかったんですよね。

原爆は広島と長崎に落とされましたが、もしかしたら豊川海軍工廠も原爆を落とされていた可能性もあったのではないかと思います。
祖母の存命中に昭和20年8月7日の事を聞いた事があったのですが、自宅から工廠方面を見たら、ものすごい黒煙が上がっていたそうです。
海軍工廠のあった場所と祖母の家は4kmほど離れています。
それでも空襲の様子が見えたのですね。
もしこれが原爆だったら、祖母にも被害が及んでいただろうと思うと、ゾッとします。
当然、当時幼児だった母にも・・・。

毎年ニュースで報道される広島、長崎の慰霊祭に挟まれて、豊川でも8月7日午前10時30分にはひっそり黙祷が行われています。

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