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膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その2

いきなり明日から入院ということで、慌ただしく準備をして翌日午後病院へ。
1週間前の検査入院の時より格段に体調が悪くなっていて、病棟まで歩くのもしんどかったので
車椅子での移動をお願いした。

入院したからと言ってすぐに治療を始めてくれる訳でもなく、筋電図と筋生検をやった後で治療開始になる旨の説明を受けた。
正直、だったら今すぐさっさとやってほしいのだが、それらの検査ができる先生の都合がつかないので、検査は21日になると告げられた。(入院したのは6月15日)
まーた治療先延ばしか!何でもいいからとにかく楽にして欲しいのに…。

入院直前の10日間くらいは、毎朝目覚めるのが本当に苦痛だった。
また苦しいだけの1日が始まると思うと、死んだ方がマシだとさえ思った。
毎朝目覚める度に死んだ方がマシだと思うほどの苦痛だったのだ。
既に解熱剤も効かない、肺生検やって以来熱も高くなってその分しんどい。
こんなに苦しくても寝ているわけにも行かない。
かと言って起きても何もできない、動けない。
旦那は全くあてにならない。

でもまぁ、入院していれば少なくとも大手を振って寝ている事はできる。
それだけは救いだったが、何しろただ寝ているだけでもしんどくてしんどくて…。
この頃はまだ肺炎の症状の方がひどくて、筋力の衰えまで意識が回っていなかった。
酸素が90を下回っていて余裕で入院レベル。
トイレに行くにもゼェゼェ息が切れて一苦労だった。
点滴台にすがりつくようにしないと歩けない。
用を足してもすぐに立ち上がれず、一休みしないと苦しくて次の動作に移れない。

それでも検査が終わるまでは治療をしてもらえないので、解熱剤を飲んでしのいでいた。
その内、筋肉の衰えも自覚出来るほどになっていた。
筋生検を翌日に控えて、しばらく入れないだろうからとシャワーに入ったのだが、髪が洗えないのだ。
自分の腕が重くて髪をまともに洗えない。
なんだこれ!なんだこれ!
自分でビックリだ。
だって想像したこともないじゃん、自分の腕が重くて髪が洗えないなんて!
椅子がないとシャワーも浴びられないし、息も苦しくてもうとても1人でシャワーは無理だ…と思った。

筋電図の検査はこの時既に終えていたのだが、説明されてビビっていたほどの痛みはなかった。
時々チクっと痛みが走る程度だったのでホッとしていた。
筋生検はかなり痛いと言われていたのだが、
「筋電図はそんなに痛くなかったし、筋生検も大丈夫かも?」
と思ったのだが、とんでもなかったww
筋肉切り取られる時の痛みと言ったら…!
何度「イタタタタ!」
と叫んだかw
何度か叫んだ後、先生が
「すみません、後1回我慢して下さい」
って言ってたけど、その後余裕で2~3回叫んだのですがw
「畜生wwあと1回って言ったくせに!」
と思ったのをよく覚えているw

1時間くらい、と説明されたけど、終わってみたら完全に2時間超えていたんですが(‘ω`)
ずっと早く終われ!と祈ってたけど、ソリャイツマデタッテモオワラナイワケヨネ 2時間超えですものww

筋生検が終わった後に明らかに肺の方の具合が悪くなったけど、先生曰く
「筋生検とは関係ないですよ」
との事。
いやタイミング的にどう考えても関係あるとしか思えない…。

入院した時点で私には4人の先生がついた。
主治医はリウマチ科のA先生、そしてなぜか研修医のB先生、最初に肺生検をしてくれた呼吸器内科のC先生、筋電図、筋生検をしてくれた神経内科のD先生だ。
筋生検が終わった翌日の朝からステロイドパルスに入る予定だったのだが、その夜急に容態が悪化した私を見て、B先生が急遽夜中にパルスを開始した。
ここでようやく治療に入れた訳だ。
続く

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快眠 睡眠

快眠研究

私はステロイドによる副作用で、不眠があります。
しかし睡眠不足は万病も元になり得ると思っているので、できる範囲で睡眠の質を高めて行きたいと思っています。
そのための工夫等を記して行きたいです。
とりあえず中途覚醒をなくす事が目標です。

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膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病 多発性筋炎発症~退院まで その1

私が発病した頃~退院するまでのお話。

2017年の5月半ばから、ずっと微熱が続いていておかしいとは思ってたんだけど、その内呼吸が苦しくなって来た。
普通に歩いているだけなのに息切れして苦しい、駅の階段を普通にゆっくり登っただけなのに、立っていられなくなるほど苦しくなる。
どう考えても普通じゃない。
町医者に行ったらレントゲン撮られて、「アレルギー性の肺炎」と診断され、
「紹介状を書くので明日市民病院に行って下さい」
と言われた。

何だか大事になって来た…?
と思いつつ、翌日市民病院へ。

でも市民病院では血液検査の結果を見つつ、
「肺炎だったら上がっているはずの数値が上がっていない。1泊検査入院して下さい」
と言われたorz
肺生検とかいうのをやるためなんだって。
この頃になると、息苦しさと微熱の他に指の関節の痛みも出ていた。
先生にそれを告げると、
「もしかしたら膠原病かも…。」
とこの時点で言われた。

1週間後に検査入院したんだけど、その間にも、もうどんどん具合が悪くなって行く。
ロキソニンを飲まないと熱とだるさでまともに動けない。
それでもとりあえず仕事はできていたのが 検査入院の2日前にはロキソニンを飲んでも仕事どころではなくなってしまった。

肺生検の結果が出るのが1週間後という事で、またしてもロキソニンを処方されただけで治療はしてもらえないまま1週間過ごす事に。
これが本当に苦しかった。
毎日どんどん何もできなくなる。動けない。
体がだるくて家事もまともにできない。
それに加えて、何だか体も重いというか、しゃがんだら立ち上がるのに異様に苦労する。
足を動かすと太ももにさーっと波のように痛みが走る。
手指の関節の痛みも、ひどくなっていく一方。
とうとう物が握れなくなり、歯ブラシもまともに持てない。

この頃になると本当に何もできなくて、食事は私の母が色々と買って来てくれていた。
本当に助かった。
旦那は何もしてくれなかったがな!!
一生忘れん!

そしてやっと1週間が経ち、「これでやっと治療開始してもらえる」と思って病院へ。
肺生検をしてくれた呼吸器内科の先生の診察の前に、リウマチ科の予約も入れてくれていたので、まずそちらで診察してもらった。

ら。

「明日から1ヶ月入院して下さい」
といきなり告げられた。

入院?1ヶ月?何だそれ!
仕事はどうなるの?
いや1ヶ月入院って、一体いくらかかるの?
そんなお金ないのに、どうすればいいの?
色んな事が頭ぐるぐる。
その間先生が言ってた事、ほとんど覚えてないw
ただ
「1ヶ月…もしかしたら2ヶ月かかるかも」
と言われたのだけはハッキリ覚えてるw

ショックのせいか段々気分が悪くなり、病室のベッドに寝かせてもらった。
血圧図ったら診察前より一気に40も下がってたよww
そりゃ気分も悪くなる。

いきなり明日から、と言われても…と5日後じゃだめですか?と聞いたら
「う~ん、時間が経つと肺の固くなった部分が戻らなくなってしまうんですが…」
と言われた。
でも考えてみたら明日入院しようが5日後に入院しようが、どうせ体がしんどくて何もできないんだよな、と思い直し、やはり先生に言われた通り翌日入院することにした。

リウマチ科の診察が終わった後に呼吸器内科の診察をしたのだけど、肺生検の結果を聞いた覚えがない。
覚えていないだけなのか、結果を知らされなかったのかはもう分からない。
どっちにしろ入院する事に決定済みなのだから、それどころの心境ではなかった。
この時点で私の主治医は、呼吸器内科の先生からリウマチ科の先生に変わっていたようだ。

続く

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子供 自閉症、知的障害

長男の障害が発覚するまで

平成9年3月31日。
丸1日の陣痛の後、明け方にやっと生まれてくれた長男。
赤ちゃんの頃から、それはそれは育てにくい子だったのを覚えている。
何が大変って、ベビーベッドに下ろすと泣き出してなかなか寝てくれないのだ。
仕方がないので、当時は1日中ずっと長男を抱っこしていた。
抱っこしながらできる事なんて、テレビを見る事くらい。
昼間は長男をお腹の上でラッコ寝させていた。
両腕が腱鞘炎になって痛くてつらかったっけ。
今思えば、自閉症のこだわりだったんだろうなぁ、と思うのだが、当時はそんな事夢にも思っていなかった。
ただひたすら「赤ちゃんってこんなもの」と思っていた。

月齢が上がるに従って、少しずつ気になる事が出て来た。
育児書に書いてある通りに発達しない・・・。
あれもできない、これもできない、が増え、母子手帳への書き込みもイヤになり、とうとう記入するのをやめてしまった。
今でもよく覚えているのは、うつ伏せができなかった事。
発達的にはできるはずなのに、絶対うつ伏せにならない。
無理やりうつ伏せにして
「やっぱりできるじゃん!」
と思いつつ写真を撮ったのだが、その写真を見ると長男の表情は恐怖に戦いているように見える。
ああ、これ怖かったんだ。
長男の障害が分かった後にそう思った。
うつ伏せができる程度の発達はしていたけど、長男は「うつ伏せの姿勢をするのが怖かった」のだ。
だって、いつもは仰向けなのに、慣れない姿勢は怖いから。
まだ生まれて半年とかそこらの頃なのに、しっかり自閉のこだわりはあったのだ。
今なら分かってあげられること、当時は全部分からなかった。

夏に近くの公園の噴水で絶対に水遊びをしてくれなかった事も、
1歳5ヶ月でやっと歩けるようになって散歩に連れて行ったら、歩道でしゃがみ込んで泣き出して歩かなかった事も、慣れない場所だと抱っこしていないと泣きわめいていた事も。
全部全部、不慣れな事を怖がる自閉症の症状だった。
私は私で、どうして歩いてくれないの?
家では歩いてるんだから歩けるでしょ!
という思いしかなく、今思えば長男にかわいそうな事をしてしまった。
でも、仕方がなかったとも思う。
誰が、自分の子に障害があるなんて思うもんか。
五体満足で生まれて来て、普通に成長していくものだと疑いもしていなかった頃だった。

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膠原病 多発性筋炎 間質性肺炎 ステロイド

膠原病について

私は2017年5月に膠原病を発症しました。
正確にはもっと前から体の中では進行していたのかもしれませんが、症状を自覚したのは5月だったのです。
私は多発性筋炎と間質性肺炎を患っていますが、まず最初に症状が出たのは間質性肺炎の方でした。
そんな体験を、今難病を患って苦しんでいる方の励みになれば、と思い書いて行きます。

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自閉症、知的障害

自閉症、知的障害

我が家の長男は、生まれつきの障害を持っています。
最初に診断されたのが「精神遅滞」
今ではほとんど聞かない言葉ですが、要は「知的障害」という事です。
当初は自閉症の診断は出ませんでした。
今思えば自閉症特有の症状が出てはいたのですが、さほど強く感じられなかった事が原因でしょうか。
そんな長男を育てて20余年。
様々な思い出を振り返りながら、今まさに障害児を育てている方たちの力になれればいいな、と思いながら綴っていきたいです。