長男は保育園の頃からヘルパーさんを利用しています。
私以外の人と関わる、というのが主な目標でした。
大概は散歩と買い物に一緒に行ってもらうのですが、
夏にはプールにも一緒に行ってもらっています。
それで先日ヘルパーさんとお散歩があったのですが。
ヘルパーさんからのお手紙で、
「スーパーでおやつを買いましたが、レジが混んでいたので、自らセルフレジを選んで、使い方も何となく分かっている様子でした」
との報告をいただきました。
おお!すごいな!
確かに長男を連れて何度かセルフレジを使った事があるし、長男自身にもバーコードを読み込ませた事もある。
でもほんの数回なんだけど、それでも覚えていたんだ!
IQ27なのに!w
結構感心&嬉しかったですね!
月: 2018年10月
コマさんの秋刀魚mode今日初めて見た!
やだなにこれ!
やたら可愛いじゃないですか!!
まさか・・・カサンドラ?
今日は長男がショートステイ、次男は夜バイトでまたしても優雅なお一人様・・・なはずなのにー!
旦那がいる!!
(´・д・`) ヤダ-
旦那の仕事はシフトが不定期だから(;ω;)
でも来月はまた1人になれるだろうから、そこに希望を持つ。
次男のバイトが夜だといいなぁ。
でも今日は本当になんにもする気が起きなくて、午前も午後もベッドで寝てました。
昼頃起きて子供にご飯食べさせて、長男をショートステイへ送って行って・・・
帰宅してまたゴロゴロ。
やらなきゃいけない事いっぱいあるのにね。
気持ちばっかり焦って、行き先が見えない。
昼ご飯を食べた時に朝の薬を飲み忘れた事に気づいたので、慌てて飲んだ。
もしかしてやる気が出なかったのはステロイドを飲み忘れたから?
でも午後もやる気でなかったしなぁ。
ていうか、旦那がいる時はもれなく何もやる気になれない。
それで気づいたんだけど・・・
これってもしかしてカサンドラ症候群ってヤツ?
常々子供の障害が遺伝だとしたら、絶対旦那の遺伝子だ!と思っていたが、
旦那は自閉症スペクトラムなのでは・・・?
思い当たる節もあるんだよなぁ~。
野波ツナさんのアスペルガーの夫が起こすトラブルの積み重ねで妻はカサンドラになるを読んだら、ウチもこれなのでは・・・?と怖くなった。
アキラさんほど典型的じゃないけど、ウチの旦那も勝手に仕事やめて来たしなぁ。
普通しないよね、住宅ローンだってあるのにさ。
ちょっと先の未来の事も考えてないって事なんじゃないのか、これは。
通園は、月曜から金曜までびっしり5日間。
細かい事は忘れたけど、水曜は地元の保育園との交流日、
木曜はスイミングだったのは覚えている。
この交流日が嫌で嫌でw
だって、健常児との違いをまざまざと、毎週眼の前で見せつけられるから。
その度に自分の子供が、どれだけ発達が遅れているのか思い知らされるから。
母子通園に通い始めた頃だったか、
正確な時期はもう覚えていないけど
初めて児童相談所に長男を連れて行って発達検査をしてもらった。
一通り検査をしてもらって、最後に私は職員さんに軽い気持ちで尋ねた。
「普通の子に、発達が追いつく可能性はありますか?」
今でもハッキリ覚えている。
職員さんが一瞬言葉に詰まったのが、明らかに分かった。
職員さんは言葉を選びながら
「…難しいと思います。普通の子も大分伸びる時期ですから…。」
と言った。
この時初めて、長男は今まで思っていた以上に深刻な状態なのだ、と私は思い知った。
その夜、長男の寝顔を見ながら私は泣いた。
永遠に出られない真っ暗なトンネルに放り込まれたような気分だった。
普通の子じゃ、ないんだ…。絶対に追いつけないんだ…。
定期的に児童精神科にもかかっていた。
何度か通ううちに、
「精神遅滞、つまり知的障害と思われます」
と診断が出た。
当時はまだ自閉症とは言われなかった。
まだ自閉度(造語だけど)がそんなに目立たなかったからだと思われる。
この後成長と共に自閉度が強くなって行って、
就学した頃に自閉症と診断名が変わった。
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それでもやっぱり、母子通園に通っている頃は、
私もまだ長男の障害を本当の意味で受け入れる事ができていなかった。
これはどの障害児の親も同じだそうで、
やっぱり障害なのか…いや、でもまだこれから良くなるかも!…
というのを無限ループする。
この無限ループから解き放たれて
事実を受け止める事ができたのは
やっぱり普通の保育園に入った頃だったように思う。
母子通園に1年半くらい通って、年中さんから地元の保育園に
障害児枠で入園した。
途中から加わる長男を、果たして同じクラスの子供達が受け入れてくれるのか、とても不安だった。
でもそんな私の不安をよそに、みんなとても長男を可愛がってくれた。
先生にも本当に良くしてもらった。
長男は基本いつもニコニコしているので、得な性分だとは思う。
担当保育士さんは長男の事を
「癒し系とか和み系ですよね~」
と言って下さった。
ある時クラスの子が
「どうして長男君は年中さんから入って来たの?」
と保育士さんに聞いたらしい。
保育士さんは
「年少さんまでは違う所に通っていたからだよ」
という感じで答えたらしい。
そうしたらその子は
「良かった~このクラスに来てくれて」
と言ってくれたのだそうだ。
この話を聞いた日の帰り道、思わず涙ぐんだのを覚えている。
保育士さんにもクラスの子にも恵まれた。
本当に有り難い、と思った。
次回、就学編w
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長男が1歳10ヶ月の頃、たまたま遊びに来た叔母に指摘されて
それがキッカケで児童精神科を受診した。
叔母は役場の福祉課で働いていたため、長男の様子が「普通」と違う事に気づいたらしい。
「何だか気になる。隣の市にそういうのを診てくれる先生がいるから、診てもらったら?」
的な事を言われた、と母づてに聞いた。
??気になるって、何が??
意味も分からないまま隣の市にある病院の児童精神科に連絡をした。
予約だけで数ヶ月待ちで、受診前にアンケートが
送付されて来た。
アンケートの内容は、
所謂自閉の症状があるか?という内容。
つま先歩きはしますか?
目が合いますか?
的なアレ。
でも自閉症の事なんて何も知らない当時の私には
このアンケートに何の意味があるのか全く分からなかった。
え?つま先歩きよくやってるけど…それが何?
何か悪いことなの?
質問の意味が分からなくて、すごく戸惑ったのを覚えている。
今ならすぐにググって調べる事ができるけど、
何しろ20年近く前の事・・・ネット環境なんてなかった。
アンケートを送り返して、やっと受診できたのは3ヶ月後くらいだったかなぁ?
隣市の総合病院に行って、待合室で呼ばれて診察室にいたのは意外と若い先生だった。
子供が成人してもこの先生にずっと診てもらう事になるなんて、
この時は思いもしなかったよw
一通り長男の様子を診た後、先生に市内の母子通園施設を勧められた。
この時はまだ2歳になるかならないかの頃だったので診断名は出ず、このまま様子を見ましょうという事になったと思う。
最後に、アンケートで気になっていた「つま先歩き」について聞いてみた。
「何か悪いことなんでしょうか?」
と。
先生は
「単なる1人遊びなので、気にしなくていいですよ」
と言われた。
(n’ω’`)エーなら何でアンケートにわざわざそんな事書くの…?
とイマイチ釈然とせずに初回の診察を終えたのを覚えている。
そりゃ、まさか自分の子供が障害児だなんて
夢にも思っていない母親に、
誰がいきなり「自閉症によくある行動なんですよ」
なんて言うもんかwって今なら思うけど。
その後先生に勧められた母子通園施設に連絡を取り、
見学を経て無事入園となった。
母子通園施設の名前に「心身障害児施設」とあったのだが、それを見て当時自分がどう思ったのか全く覚えていない・・・。
やっぱり児童精神科の受診をした時点で、何となく
「ああ、普通の子とは違うのか・・・」
と思ったんだと思う。
まぁ、思い当たる節ありまくりだったから当然かなw
あの頃は本当に忙しい毎日だったなぁ。
まだ0歳だった次男を背負って
長男の手を引いての毎日の通園は、
今思うと全然自分の時間なんか取れない、
過酷な毎日だったw
朝9時から14時か15時までだったか・・・
ああ、もうこんな事も覚えていないなw
ちょっとショック。
帰ったら子供昼寝させて、
何だかんだやってたらすぐ夕ご飯の時間だ。
若かったからこそできたんだよなぁ。
今だったら絶対持たないよ、体がww
膵炎発症から前後するけど、7月に入った頃にもなると体調も大分楽になって、暇を感じられるくらい余裕が出来た。
その時点でLINEでお友達にぼちぼち入院している事をお知らせ。
退屈だから誰か見舞いに来て~って事でw
入院初期なんて体調が悪くて退屈なんか感じる余裕もなかったから、これは大分回復した証拠。
この頃はパルス2回目も終わって、飲み薬のステロイドを毎日60mg飲んでいた。
他の人の症状を見ると、鬱状態になって悲観的になって泣いていたり、
逆にステロイドハイになってやたらとテンションが上がったりっていうのを見たけど、
私は至って平常運転だったw
鬱も躁も出ず、全く普通。
不眠と便秘以外に特に副作用もなし。
まぁその後膵炎になったんだけどさorz
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お友達もぼちぼちお見舞いに来てくれたり、7月も半ばを過ぎると点滴台をコロコロさせながら1階(私の入院していた病棟は5階)のコンビニまで行けるようになった。
とにかく暇なので、買いたい物があるわけでもないのによくコンビニまで散歩していたw
それにしても困ったのが、スマホの速度制限とバッテリーの持ちの悪さ。
病院Wi-Fiないんだよねぇorz
だから7月半ばで通信制限かかっちゃってさ。
それでなくてもやることがないから、どうしてもスマホいじっちゃう。
バッテリーもガンガン減る。
なのでちょっと使わない時はいつも充電してた。
スマホがいつも熱かったなぁw
テレビはカード代がバカ高いので、厳選した番組を週3~4番組しか見ていなかった。
それでもテレビカードだけでトータル1万近く使ったもんなぁorz
そして7月半ばにしてようやくCPKが3桁(700台)まで落ちたので、
その頃からリハビリ開始。
とにかく暇だったので早くリハビリを始めたかったので嬉しかった。
この頃一応毎日散歩していたので、それなりに歩けるつもりでいたのだが、B先生に
「階段はまだ無理だと思います」
と言われて気付いた。
そうだ、私今絶対階段昇り降りできないわ!
これじゃ家で生活できないじゃん!
歩くのだってまだまだゆっくり慎重に行かないと怖い状態だしね…。
それでも、一番状態が悪かった時は上半身の着替えだけで息切れして休み休みだったもんな。
それから考えれば本当に少しずつだけど、毎日回復はしてる。
昨日できなかった事が今日はできる。
この連続で、ちょっとしたことだけど嬉しかったのをよく覚えている。
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パルス開始直後は指先に力が入らなくて髪もうまく結べなかった。
だってシュシュが広げられないんだよw
ゴムが固くて、指でゴムを広げられなかった時はもう、
びっくり通り越して笑っちゃったわw
こんな事もできないのか!って。
でもそれも数日後にはできるようになって、髪もうまく結べるようになった。
ベッドの縁に座る事はできたけど、ベッドの上に足を伸ばして座ることはできなかったのも、ある朝何とかできるようになった時も嬉しかったなぁ。
そんなこんなで7月下旬、やっとCPKの数値が基準値になった。
A先生が病室まで教えに来てくれて、
「もう少しです!」
とガッツポーズまでしてくれたw
とても嬉しかったw
終わりの見えない入院生活で、やっと退院の文字が見えた瞬間だった。
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そして8月に入ってから、このまま悪くならなければ、来週退院だと言われた。
ステロイドも少しずつ減っていて、この頃には1日30mgだった。
しかし退院する前にやっておかねばならない事があった。
旦那の家庭内禁煙である。
そもそも私がこの病気になった原因の大部分は旦那によるストレスだと
割と真剣に思っている。
その1つがタバコ。
家の中だけでもやめてくれって頼んでも聞いてくれなかった。
毎朝寝室のドアを開ける度に家中に漂うタバコの臭いに、
どれだけストレスを感じていたか!
これを機に、家の中で吸うのだけはやめてもらわねば!
A先生に
「主人がタバコを吸うんですけど、やっぱり家の中で吸うのはやめてもらった方がいいですか?」
と聞いたら
「そうですね、できるだけやめてもらった方がいいです」
と言われたのを、100倍くらい大げさに伝える事にしたw
それに加えて予め私の母からも旦那に伝えておいてくれるように頼んだ。
その上で旦那に電話したら、意外とアッサリ了承されたので少々拍子抜け。
ついでに、これからの生活で心がけて欲しい事を説明して電話を切った。
そして血液検査の結果、退院が8月10日に決定した。
6月15日に入院して、実に57日目。
私が一番気がかりだったのは飼い猫の事だった。
子供は母や旦那が見舞いに連れて来てくれたけど、猫だけはそうも行かぬ。
猫に会いたくてしょうがなかった。
退院の日、母と次男(長男は作業所があったため不在だった)そして姉まで来てくれた。
でも家にいるはずの旦那は来ないw
まぁ奴はそういう奴なんだよ。
だから最初からアテにする気もないのだが。
トータル57日の入院。ほぼ2ヶ月だよね。
長かったー!
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家に帰ったら、真っ先に猫を探した。
猫の小さな脳みそで2ヶ月も会わずにいたら忘れられちゃうんじゃないか、と不安だったしw
幸いウチの猫はちゃんと覚えていてくれて、嬉しそうな顔をしてくれた。
入院中もずっと私の母が泊まり込みで家事をしてくれていたのだが、退院後もしばらく残ってくれる事になった。
退院直後じゃまだ何もできないだろうと。
それなのに私は翌日からほぼ普通に生活していたw
だって頑張ればできるんだもん、やらなきゃ。
洗濯、トイレ掃除、猫トイレの砂替え。
翌日の朝息切れしながらやっていたら、母に心配されたw
でも頑張ればできるならやっちゃうよね、自分で。
母には食事作りだけをお願いした。
病院ではほぼ1日寝ていたから、家でも1日の大半を寝て過ごさないとしんどいだろう、と母は思っていたようだ。
でも私にしてみれば、病院で寝ていたのは他にやることがなかったからってだけの話で…。
いつでも好きなことができる自宅でまで寝ているほど具合が悪い訳ではなかったのだよ。
この頃の体調は「笑っちゃうほど順調」だった。
実際それは今現在も同じ。
だから、ネットで色々調べるまではこれが普通なんだと思っていた。
でも、退院後普通に生活できるまでに2年かかったとか、ステロイドの離脱症状でだるくてまともに生活できないとか、そんな話を読んだ時は本当にびっくりした。
私がこんなに体調がいいのは、単に運が良かっただけなのか…。
そりゃいくら調子がいいと言っても、病気になる前とは違う。
ゆっくりでないと歩けないし、ちょっと動いたらやっぱり少しだけど息苦しくもなる。
退院して一番びっくりしたことは、ニンジンが切れなかった事w
ニンジンってこんなに固かったんだ!っていうのと、
今まで全く気にならなかったニンジンが固くて切れないっていう事にビックリだ。
やっぱり相当筋力が落ちてるんだなぁ、と。
何しろ入院して体重測定したら、1週間で4kg落ちた時あったからなぁ。
あれほぼ筋肉なんだよなぁ、勿体無い。
4kgの筋肉を取り戻すには、一体何ヶ月、何年かかるんだろう…。
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どうせなら免疫も、筋肉じゃなくて脂肪を攻撃して溶かしてくれれば良かったのに、と何度思った事か。
こうして私の約2ヶ月の入院生活は終わった。
もう随分遠い昔の事のような気がしている。
実際細かい事は忘れちゃってるんだよね。
今体調がいいのを楽観しないで、いつかまた入院するような事になるかも知れない、と危機感を持っていなければと思う。
なので、とりあえずサブのノートパソコン買いましたw
7月に入って割とすぐ、酸素が取れた。
指に常時付けていた酸素を測るモニターも外された。
酸素量が安定して来たからもういいって(・∀・)
そして、支えなしでも歩けるようにもなった。
今までは点滴台に酸素ボンベを取り付けて、そこからチューブで繋いで酸素を吸いながら点滴台に捕まっての移動だった。
おまけにでっかい酸素モニターも付けさせられてたし。
これらが必要なくなって、体一つでスムーズに移動できるのがなんと素晴らしい事か!
尤も、まだまだ足に力が入らなくて脱力感が強いので、よくよく注意して歩かないとならない。
今軽く膝カックンされたら、余裕でその場で崩れ落ちる自信があるw
とにかく少しづつではあるけど順調に回復している。
副作用らしい副作用も、便秘気味と不眠以外出てない。
順調なので1時間の外出許可を貰って外に買い物にも行けた。
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ところがである。7月18日。
朝食後しばらくして、左脇腹と左肩が痛みだした。
朝食後にパンも食べたりしたんで、ちょっと食べすぎたのかな、と思ったのだが、明らかに食べ過ぎの痛みじゃない。
しかも左肩も痛いっていうのはおかしい。
???
と思いながら横になっていたが、その内収まった。
が、その日の昼食時。
食事中にまた左脇腹と左肩が痛くなった。
ちょっと痛いなんてもんじゃない。
「いたたたた…!」
とうずくまって食事を中断しないといられない痛さ。
しかも息を吸うとひどく痛むので、呼吸するのも一苦労。
明らかに食と連動して痛くなるようだ。
その後様子を見に来たA先生とB先生に相談したけど、この痛み具合が伝わらないのかイマイチ反応が薄い。
まぁ少し様子を見ましょう、みたいな(-“-;)
自分でググってみた結果、どうも膵炎の症状が非常に当てはまるのだが、先生なら症状を言ったらすぐ分かると思ったのに。
言わないという事は膵炎は考えすぎなのか?
さすがに素人が「ネットで調べたら膵炎っぽいんですけど、違いますか?」
とは聞きづらいなぁ、と思って言わなかった。
アルコールの取り過ぎでなる場合が多いって書いてあったしけど、
アルコールなんて一切取ってないしなぁ。
先生方は特に何もしてくれないけど、食事をするとまともに食事できないほど痛む。
どう考えても気のせいとかのレベルじゃないんですけど!
という事で、翌朝看護師さんに
「どうしても痛いので、先生にそう言って下さい」
とお願いした。
A先生は「脇腹と左肩の痛みは別ものでしょう」と言われたが、どう考えても同時に痛くなるんだってば!
「いえ、連動してます」
としっかり言っておいた。
B先生は「食事で痛くなるなら胃関連かなぁ」と。
とりあえず痛みが出てから3日目にやっとCT検査をしてもらえる事になった。
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検査をした日の夕方、A先生が病室に来るなり
「すみません、膵炎でした」
と。
ほらやっぱりー!!
何で素人が簡単に検索で分かる事をプロが気付かないんだよー!
「でも、膵炎なら上がってるはずの数値が低いんですよね」
と先生は仰ったが、症状が出て48時間経過したら数値はどんどん下がって、
平常値になるんですってよ。
Google先生が教えてくれたよ。
痛くなったの18日で、CT取ったの20日。
とっくに48時間経ってますw
素人が簡単に調べられる事をなぜ医者が知らないwww
専門外だからなのか?(-“-;)
結局ステロイドの副作用で膵炎になったorz
入院中暇だったのでスマホで日記をつけていたのだが、この日の日記はまぁ、本当に落ち込んでいたのがよく分かる。
実際とてもショックを受けた。
ムーンフェイスやらニキビやらならまだいいけど(この頃は何も出てなかったけど)
病気系の副作用だけはならないで欲しかったのに。
とうとう恐れていたことが…!
自分の病気が難病指定されているような重病だって知った時も、
ここまでショックは受けなかった。
ていうか、難病の事も自分でネットで調べて知ったよ!
先生そういう説明何もしてくれないんだもん!
更に医療費補助してくれる受給者証の申請が出来ることも自分で調べたよ!
だって先生そういう説明何も(ry
いや流石にもうちょっと説明してくれないと困っちゃうよホントにorz
そしてその日から地獄の24時間連続点滴が始まった。
何でも、絶対に漏れたらまずい点滴だから、慎重を期すために腕からではなく首の太い血管に針を入れて、そこから点滴するんだって。
いきなり病室でプチ手術状態にorz
麻酔して点滴針を入れて、数針縫って針を固定して、ご丁寧にレントゲンで針がちゃんと血管に入っているか確認して、それでやっと点滴開始。
何という慎重さ((;゚Д゚)ガクガクブルブル
更に点滴がスペシャル仕様。
なんか制御装置までつけられてるww
点滴が詰まったりするとエラー音が鳴り響く。
点滴が終わってもエラー音が鳴り響くw
同室の人達には非常に気が引けたが、まぁ迷惑はお互い様だよな。
私は普段ほぼ迷惑をかけるような音も出さずに大人しくしていたが、周りのばぁさん達にはそれなりに迷惑かけられてたしな。
このスペシャル仕様で2種類の点滴をほぼ絶え間なく入れ続ける。
1種類は8時間かけて、もう1種類は16時間かけて。
せっかくおさらばできた点滴台と感動の対面(‘ω`)
また点滴台を引き連れて歩くのか。
前はそれでも点滴台が支えになっていたので助かってはいたが、今は1人で歩けるから完全にお荷物。
ガラガラと後ろ手に引っ張っていかにも邪魔、という感じで歩いていたw
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せっかく原病である多発性筋炎は少しずつとはいえ順調に良くなっていたのに、副作用の膵炎がこれでは…。
最早どっちがメインの病気だったのか、自分でも分からなくなりそうになる。
ググってみたら、ちゃんと副作用として「薬剤性膵炎」ってのがあるそうじゃないか!
何で素人が簡単に調べられる事を医者が(ry
退院して色々調べた今、お医者さんや薬剤師さんの言う事はあんまり真に受けない方がいいのかもしれないなぁ、と思っている。
だってステロイドの副作用で血糖値が上がった時に、
「このまま糖尿病になりそうで不安です」
と相談した市民病院の薬剤師さんは
「そういう事は滅多にないから大丈夫ですよ」
と言い切っていたが、調べたらそれで糖尿になった人の体験談、ザクザク出て来るよ!
膵炎の見当を付けられなかった担当医A、B先生の事もあるし。
(だが私はA先生は信頼しているし、とても好きだ)
何というか楽観的というか…。
色々説明不足なのは言わずもがな!
この時点で7月中の退院は無理だなぁ、と悟った。
まさかこんなに長引くとは…。
退院時期が全く見えなくて、毎日不安だったなぁ、この頃。
治療に入る前は、主に4つの症状が辛かった。
1 発熱による倦怠感
2 指の関節の痛み
3 間質性肺炎の症状(息苦しくて動けない)
4 多発性筋炎の症状(体が思うように動かせない)
治療に入った途端、1と2はすぐに良くなった。
しかし肝心の3と4の回復が思わしくない…。
というか、この頃は筋炎よりもむしろ肺炎がメインの病気だと思っていたし、肺炎の症状の方がキツかった。
トイレに行くだけで大仕事だった。
常に酸素のチューブをつけていないと苦しくなる。
寝る時に横を向くと胸が息苦しくなるので、仰向けでしか寝られなかった。
後にネットで、間質性肺炎は多発性筋炎の合併症で、メインはむしろ多発性筋炎だと知った。
でもこの辺お医者さん全然説明してくれなかったんだよねぇ。
ネットで調べないと分からなかったわ(-“-;)
でも、診断がつかなくて病院をたらい回しにされる人も結構いるみたいだし、筋炎の自覚症状が少なかったのにすぐに診断の目星をつけてもらえたのはラッキーだったんだろうな、と思う。
都心の病院ならともかく、東三河の片田舎でw
ステロイドパルスの点滴が3日間終わった後、飲み薬になった。
最初は60mgスタート。
でもやっぱり3と4の回復が遅い。
私の場合、CPKは最高7000↑だったけど、さすがに治療を開始したら徐々に下がってはいた。
でも下がりが遅い。
1~2週間経った頃に、2回めのパルスが決定した。
それでも体調は治療を始める前に比べたら、格段に楽になっていた。
熱は出なくなったし、前は寝ていてもしんどかったのに、とりあえず寝ていれば楽になっただけでも嬉しかった。
関節の痛みがなくなったので、手も使いやすい。
ただ筋炎のせいで指先に力が入らないので、薬の袋を千切れなかったし、驚いたのは手のひらを水平にできなかったこと。
薬を飲もうと手のひらに錠剤を乗せようとしたけど、手首が上手く回らなくて。
仕方がないので薬の袋をハサミで切って、袋ごと上からザーッと錠剤を口に放り込んでたw
楽になったとはいえ、まだまだしんどい。
1日中横になって、トイレの時だけ起きる、そんな生活。
トイレもしんどかったのでできれば行きたくなかったのだが、そういうわけにもいかないので、尿意を催してからトイレに立つまで時間がかかった。
2回目のパルスをやっても、やっぱりCPKの下がり具合がイマイチ。
もし2回目でダメだったら3回目もあるかも…と聞いていたのだが、3回目にはならず、免疫抑制剤の服用になった。
プログラフカプセルを夜だけ3カプセル。
これが割と良かったらしく、またCPKが下がり始めた。
状態を見て3カプセルから4カプセルに増量されたが、この頃から順調に数値が下がって行った。
後で知ったけど、この薬やたらお高い(;ω;)
この頃出ていた主な副作用は、不眠と軽い便秘。
ムーンフェイスも食欲増進も特になくホッとしていたのだが…。
やっかいな副作用が現れたのはステロイド治療が始まって1ヶ月近く経った頃だった。
続く
いきなり明日から入院ということで、慌ただしく準備をして翌日午後病院へ。
1週間前の検査入院の時より格段に体調が悪くなっていて、病棟まで歩くのもしんどかったので
車椅子での移動をお願いした。
入院したからと言ってすぐに治療を始めてくれる訳でもなく、筋電図と筋生検をやった後で治療開始になる旨の説明を受けた。
正直、だったら今すぐさっさとやってほしいのだが、それらの検査ができる先生の都合がつかないので、検査は21日になると告げられた。(入院したのは6月15日)
まーた治療先延ばしか!何でもいいからとにかく楽にして欲しいのに…。
入院直前の10日間くらいは、毎朝目覚めるのが本当に苦痛だった。
また苦しいだけの1日が始まると思うと、死んだ方がマシだとさえ思った。
毎朝目覚める度に死んだ方がマシだと思うほどの苦痛だったのだ。
既に解熱剤も効かない、肺生検やって以来熱も高くなってその分しんどい。
こんなに苦しくても寝ているわけにも行かない。
かと言って起きても何もできない、動けない。
旦那は全くあてにならない。
でもまぁ、入院していれば少なくとも大手を振って寝ている事はできる。
それだけは救いだったが、何しろただ寝ているだけでもしんどくてしんどくて…。
この頃はまだ肺炎の症状の方がひどくて、筋力の衰えまで意識が回っていなかった。
酸素が90を下回っていて余裕で入院レベル。
トイレに行くにもゼェゼェ息が切れて一苦労だった。
点滴台にすがりつくようにしないと歩けない。
用を足してもすぐに立ち上がれず、一休みしないと苦しくて次の動作に移れない。
それでも検査が終わるまでは治療をしてもらえないので、解熱剤を飲んでしのいでいた。
その内、筋肉の衰えも自覚出来るほどになっていた。
筋生検を翌日に控えて、しばらく入れないだろうからとシャワーに入ったのだが、髪が洗えないのだ。
自分の腕が重くて髪をまともに洗えない。
なんだこれ!なんだこれ!
自分でビックリだ。
だって想像したこともないじゃん、自分の腕が重くて髪が洗えないなんて!
椅子がないとシャワーも浴びられないし、息も苦しくてもうとても1人でシャワーは無理だ…と思った。
筋電図の検査はこの時既に終えていたのだが、説明されてビビっていたほどの痛みはなかった。
時々チクっと痛みが走る程度だったのでホッとしていた。
筋生検はかなり痛いと言われていたのだが、
「筋電図はそんなに痛くなかったし、筋生検も大丈夫かも?」
と思ったのだが、とんでもなかったww
筋肉切り取られる時の痛みと言ったら…!
何度「イタタタタ!」
と叫んだかw
何度か叫んだ後、先生が
「すみません、後1回我慢して下さい」
って言ってたけど、その後余裕で2~3回叫んだのですがw
「畜生wwあと1回って言ったくせに!」
と思ったのをよく覚えているw
1時間くらい、と説明されたけど、終わってみたら完全に2時間超えていたんですが(‘ω`)
ずっと早く終われ!と祈ってたけど、ソリャイツマデタッテモオワラナイワケヨネ 2時間超えですものww
筋生検が終わった後に明らかに肺の方の具合が悪くなったけど、先生曰く
「筋生検とは関係ないですよ」
との事。
いやタイミング的にどう考えても関係あるとしか思えない…。
入院した時点で私には4人の先生がついた。
主治医はリウマチ科のA先生、そしてなぜか研修医のB先生、最初に肺生検をしてくれた呼吸器内科のC先生、筋電図、筋生検をしてくれた神経内科のD先生だ。
筋生検が終わった翌日の朝からステロイドパルスに入る予定だったのだが、その夜急に容態が悪化した私を見て、B先生が急遽夜中にパルスを開始した。
ここでようやく治療に入れた訳だ。
続く
私はステロイドによる副作用で、不眠があります。
しかし睡眠不足は万病も元になり得ると思っているので、できる範囲で睡眠の質を高めて行きたいと思っています。
そのための工夫等を記して行きたいです。
とりあえず中途覚醒をなくす事が目標です。